徳川大坂城模型作成記事の続きです。土台については、一応、西片菱櫓、山里口門、東菱櫓を含め、本丸北東の糒櫓、月見櫓を含める部分までを模型化することにしました。
もちろん山里丸にあった加番小屋も含めることとなります。下の図は、国立国会図書館蔵「大坂御城御本丸并御殿絵図」で「大坂御城絵図」と同様に建物規模が記載されています。ただし、加番小屋については、両方とも記載されていません。
加番小屋については、大阪城天守閣蔵の「山里御加番小屋絵図」があり、ここから平面規模などがわかるものとなっています。本家・役宅(加番役大名の屋敷)と同心や与力の長屋が周囲に配置されています。この長屋の仕様、例えば屋根が瓦葺きなのか、板葺きなのか、また悩ましいところではあります。宮内庁蔵の幕末大坂城写真に写っている建物には、瓦をスキマをあけて置いただけの板葺きのものがけっこう多いのです。加番長屋の屋根もそうではないのかと疑っています。
また、天守台東側は空地が広がっており、さらに糒櫓周辺は高台のようになっています。ちなみに松岡利郎先生の「大阪城の歴史と構造」に掲載されている徳川幕府再築大坂城縄張図には、私は元史料は分からないのですが、この盛り上がったところに「仏具山」と記載されています。
ここの標高は基準点があって、32.9mとなっていて天守西側よりも1m強高くなっています。
もうひとつ悩ましいのが、「大坂御城御本丸并御殿絵図」に見られる焔硝蔵(火薬庫)です。現行西の丸に現存している焔硝蔵は、1685年築造で、青屋口にあった焔硝蔵が落雷で大爆発を起こした後に、新たに作った頑丈な石造火薬庫でして、これ以前の仕様が分りません。絵図からは、おそらく周りを古墳のように土盛りで囲んでいるもののように見えますが、屋根はあったのか、半地下としていたのか、分かりません。
上の図面が国立国会図書館蔵「大坂御城絵図」に描かれた焔硝蔵、下が「大坂御城御本丸并御殿絵図」に描かれたものです。上のものは建物を描いたというよりは、中に格納されている「唐銅焔硝箱16こ」を表しただけだと思われます。建物にしては、柱なども描かれていませんし、焔硝箱にしても巨大すぎると思います。この図には本丸南にもう1か所同様な唐銅焔硝箱置き場所が描かれていますが、奇妙な印象で、どういう意図であったのでしょうか。
こんばんは、あんけんです。
拡張域、のみではもちろんありませんが期待しております。
自分も調べてみましたが硝煙蔵の資料は全然見つかりません。恐らく半地下で周りを何かで固めた建物だとは思いますが、昭和にいつの間にか消えた薪蔵が大坂御城御本丸并御殿絵図では緑で描かれてるのを見ると何らかの理由で描き方を変えられてるだけの建物の可能性もあるのかと悩ましいです(例えば被災時の周りへの二次被害を防ぐために柱や梁に頼らず厚い土壁だとか・・・?)。
とウエブでも検索してたら、リニューアル直前にお知らせしたかったカラーブックスの大阪城ガイドが一部アップされてるのを見つけました。ただご覧頂きたかった姫門の写真はカットされてますが・・・。
https://books.google.co.jp/books?id=lih0-QeXjJIC&pg=PA31&lpg=PA31&dq=%E5%A4%A7%E5%9D%82%E5%9F%8E%E3%80%80%E8%96%AA%E8%94%B5&source=bl&ots=KUpsqOUvhy&sig=ZvUVNQp7Dbf2ncucXrm1J8Glebc&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjj-uTltcXXAhXCFZQKHR0_DHQQ6AEIMTAB#v=onepage&q=%E5%A4%A7%E5%9D%82%E5%9F%8E%E3%80%80%E8%96%AA%E8%94%B5&f=false
あんけんさん コメントありがとうございます。また、カラーブックスの情報提供ありがとうございました。
硝煙蔵については、ネットでは加賀藩のものとかでてくるようですが、蔵自体のイラスト、想像図すらないようです。未研究の分野なのでしょう。まあ、半地下の古墳状のもので再現するしかないようです。
しかし、大阪城の解説などで、この本丸の硝煙蔵が触れられていないのは不思議ではありますね、大阪城に展示してある1/350徳川大坂城模型にも無いようです。