今回は、先日、NHKや新聞記事でも紹介された慶長度江戸城の新発見史料について記事にしてみることにします。発見されたのは松江歴史館所蔵の「極秘諸国城図」にあった「江戸始図」という絵図とのことです。徳川の江戸城には天守が3つあって、家康公の慶長度天守、二代将軍秀忠の元和度天守、三代将軍家光の寛永度天守で、現在の天守台は最後の寛永度のもの(ただし、積みなおして高さが低くなっている。)と言われています。
ちなみに、童友社江戸城プラモは、寛永度江戸城のものです。
元和度天守については天守台の位置が明確ではなく、特に慶長度については指図らしきものは見つかっておらず、外見、規模、縄張りを含め、幻の天守となっているのです。それが、この「江戸始図」に縄張りが明記されており、大発見となったところです。
(下図は、松江市報道発表「松江歴史館所蔵「江戸始図」の学術的意義の概要 (奈良大学の千田嘉博教授の報告より) 」3ページ掲載図より引用)
しかし、昨年発見された真田丸の絵図もこの松江歴史館所蔵「極秘諸国城図」という史料からでしたから、まだまだ未発見の史料というのが存在することに驚いてしまいますよね。(そう言えば、前々回記事で取り上げたNHKBSのザ・プレミアム「二条城~戦国から太平へ~」で、新発見の江戸城天守図面、聚楽第の図面も出てましたっけ)いずれにせよ、新資料の発見は嬉しいことではあります。
(下図は上記と同様松江市報道発表5ページより引用)
ところで、この「江戸始図」を見てると、以前の記事駿府城復元記でとりあげた大日本報徳社蔵「駿州府中御城図」と類似しているような気がします。お城の防御にかかわる部分を黒の塗りつぶしで表現するところとか、千田先生が指摘されている本丸南の5連続桝形の最後の石塁につながる石段など、駿府城天守東側の石段と同じ形式だったのではと思ったところです。
前の真田丸史料があって、少し遅れて慶長江戸城の史料発見って、少しずつ出てきてますけど、ひょっとして、この「極秘諸国城図」の中に、安土城とか豊臣大坂城とか聚楽第、駿府城の新史料が入ってるなんてことはないんでしょうかねえ・・・発表時期を待っているとか、わくわくしますよね。
ついつい私も喜んでしまって、GoogleEarthの江戸城本丸画面にに駿府城プラモの写真を追加して図面の一部を再現してしまいました。(やっつけ加工でアップに耐えれるものではなく、全体までは張り付けていません。あしからず)
松江市の報道発表記事:
http://www1.city.matsue.shimane.jp/shisei/kouhou/kisha/2017/0208.data/gaiyou.pdf