童友社DX広島城の制作の記事の続きです。私がお城プラモを作る最大の動機は盛時のお城がどんな情景であったのか見てみたいというもので、キットに御殿が入っていなくとも、天守脇が御殿の範囲であれば当然追加しようと考えるところです。
お城自体は、創建当初から江戸時代を通して存在し、御殿などは、その長い間には増築、改築など建て替えなども行われております。私が模型化しようとしたのは「御城御屋形絵図」(広島市立中央図書館浅野文庫蔵。以下の写真は学研歴史群像「広島城」43ページより引用)の表御殿、中奥、奥のうち天守脇の奥の部分となります。この奥の部分は元は歴代藩主の位牌所、庭園などがあったところで、この図は天明元年(1781年)以降の姿とされています。(同「広島城」43ページ「広大さを誇った本丸御殿」三浦正幸先生の解説より)
図面は、下が北で右下が天守、右中央に横たわっているのが南小天守に繋がる櫓(出入口は不明)画面下中央が東小天守となります。赤線で囲んだ部分を模型化しています。仔細に見ると柱が描かれているところもあり1間を6.5尺とすれば縮尺を1/350に換算できるのです。(図面には屋根が入っていないので、プラモの屋根は私の想定です。)
写真を見ていただくと、上記の図面より建物が大きく見えますが、屋根の軒の部分がありますので、この大きさとなります。建物が密集し、建物規模として小ぶりな印象も受けるところで、このあたりは模型化してみないと感覚的にはわからないところでしょう。
それでは御殿制作を順に紹介していきます。床を作って壁を立てていくのが順当なところですが、私の苦手は屋根瓦でして、お城プラモキットの流用していますから、まずは土台となる床を作り、それにあわせて屋根をつくっています。柿葺きの屋根はフジミの清水寺パーツの流用でカットして組み合わせていきます。瓦葺きのほうは、広島城の渡櫓のもの、江戸城キットの天守屋根をカットしたものです。
模型化する御殿では、座敷が多く、いくつかの部屋をのぞき込めるように畳敷の部分も作っています。
屋根と調整しながら、壁を立てていきます。
「御城御屋形絵図」には御蔵と記された建物もあります。大天守のふもとで、奥まった場所なので、おそらく家宝などが収められていたのでしょう。外見に根拠はありませんが、なまこ壁の2階建ての蔵にしました。
この広島城プラモ御殿の「うり」の一つが、茶室「待庵写し」でして、前掲「御城御屋形絵図」には単に御小座敷と記されているだけですが、大きさなどから、茶室と解釈できる建物が御殿北西隅にあります。「待庵」とは、千利休作と信じうる唯一の現存茶室(wikiによる)で、この小座敷(茶室)が待庵を模しているかどうかは、根拠史料はありませんが、私が1/350で待庵を作ってみたかったので置いてみた訳です。当然、茶庭も周辺に作りますが、樹木、置石の位置など私の想像のものとなっています。
一応本丸御殿部分もあらかた完成した写真です。待庵写しの間口が1センチ弱ですので小さなものですが、まあ私のテクではこのあたりが限界です。
茶庭周辺の俯瞰写真です。
長局につづく御殿の屋根です。次回は、土塀やその他こまごまとしたストラクチャーについて記事にするつもりです。旧記事の再編集っていうのもけっこう時間をとられてしまうもので、なかなかお城プラモ築城作業に入れませんねえ。