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童友社のDX広島城の制作記事の続きです。天守の制作に入る前に小天守の改造記事にします。2つの小天守は、明治初期に取り壊され、図面なども残っていません。(古写真に東小天守の1重目に唐破風のみ確認できるものはあります。)その姿は徳川家光が命じた正保城絵図などにも描かれておりますが、正確な図面がなく、いわば幻の小天守となってしまっています。
写真は、キットのまま下見板張を塗装して仮組みしたものです。ちょっと首をひねってしまったのは、写真左の東小天守の1重目の入母屋が平側(長辺側)にあることです。見栄えとかで、建物を大きくみせるために他の天守(福知山城など)で例はあるけどねえ・・・なぜ童友社は、こうしたのかといろいろ考えてみました。ひょっとすると渡櫓の屋根の大棟が貫いて、その上に2重目をのせるパターンを考えていたのかもしれません。(小天守台が内側にずれているので、直線にはならず、ありえないですが)図面もないことだし色々と苦慮したのでしょう。
さらに両小天守、何間×何間の2重目、3重目が想定されていたのかは分かりませんが、すそ広がりの屋根と建物バランスが納得できないので、改造することにしたのでした。妻側は広げず、平側を2重、3重と均等に低減するように壁面をつぎ足しました。(写真の白い部分)
東小天守の1重目屋根は、キットは2つ買ってあるので南小天守の屋根を流用することにしました。唐破風部分の移植などもありますが、入母屋屋根の改造は無理と判断しました。(写真左のものを削って右のものに加工)
また、東側渡櫓の屋根の傾斜角度が広島城天守図面と異なっているので図面に合わせる改造をした上で、東小天守1重目屋根がぴったりと接続するようにしました。(キットの屋根は左のもので、角度が異なります。)
南小天守も同じように2重目、3重目平側を拡張しております。
屋根も改造が必要になります。左の写真は2重目屋根ですが、4か所カットして、そのスキマに左下に見える屋根の切れ端をカットして接いで2重目に合わせるようにしています。右の写真は、1重目で端をカットして、軒の長さのバランスを合わせました。(まあ私の感覚でですが・・・)
壁面の塗装、屋根の塗装が終わっていませんが。東小天守及び南小天守の改造の完了です。屋根の軒先もヤスリで整える必要もあります。私としてはバランス的には満足していて、現広島城にある木製模型の小天守に似た形状となったと思っています。
自分のお城プラモの一部を写真で切り取って、それが鑑賞に値するものにしたい、私の願いであります。
幻のお城の風景、それもありふれた日常の風景、それを再現できればなあ・・・と