今回の記事も、東京マルイ姫路城についてです。このブログを以前からご覧になっている方はおわかりでしょうが、当ブログは、お城プラモデルキットに対して、縮尺、天守及び周辺の形状、石垣のモールドなど非常カラい見方をとっています。お城は日本建築の華であり、西欧建築などと比べても遜色なく、日本人が誇りを持って後世に伝えていくべき日本固有の文化遺産です。その城の名をつけて販売するのですから、海外に紹介しても恥ずかしくないレベルのものにしてほしいと思うところです。
おいおい、そんなに大上段にかまえずとも単なるプラモじゃないかとも思うのですが、お城ファンであることのほうが、プラモデラーの部分を凌駕してしまっているので、お城プラモキットを実物との違いを残したまま完成させるのが楽しめなくなっているのです。(それはそれでめんどくさいことではあります。)
これでも、小中高と飛行機プラモの合間に、お城プラモもたくさん作りました。覚えている限りでは、スタンダードで小田原城(小学生の頃に買った時には豆球の照明ギミックがついていました。)、岐阜城、名古屋城、大阪城、デラックスでは、熊本城、大阪城、江戸城、安土城、ジョイジョイの松山城、和歌山城、フジミの小倉城も・・・改造なんてしてないですが当時も石垣塗装には凝っていました。(「見せてみろ」ってですか?当時のお城プラモ完成品はすべて、我が家にいたお城プラモ攻城戦の名手「大阪のおかん」の手にかかって落城廃棄処分されています。)
さて、本題にもどります、1/350東京マルイ姫路城ですが、まずは土台から見てみましょう。上から撮影したもので、この模型は西側の「はの門」、「三国堀」、北は「北腰曲輪」、東は「井郭櫓」、南は「備前丸」を含めて、見慣れた天守への登城コースを意識しているのかと考えられます。備前丸の南西直下にある「ぬの門」は省略されています。
図面は、学研歴史群像名城シリーズ姫路城16,17ページ松岡利郎氏作成姫路城縄張図です。小天守群を含む天守曲輪台の形状は矩形でないことが確認できると思います。北面は天守南面に対し、並行でなく約4度傾いています。東小天守の北東角が鋭角(約87度)乾小天守の北西角でわずかに鈍角になって、西小天守の南西角も鈍角にしてズレを吸収して大天守に接続していくと言ったらいいでしょうか。東京マルイ姫路城がここをどうするのか興味があったのですが、再現はしていません。(ちなみに童友社最新の1/500姫路城も矩形となっていて再現されていません。)
もともと防衛上の意図かなにかでこういう形状になったのかというと、そうではなく当時の石垣構築技術が矩形の天守台にできず、出来上がったものに天守曲輪建物を合わせたというのが正解でしょう。
東京マルイ姫路城の写真を撮っていて、三国堀から天守をみたときに少し低いと感じたので、地面の高さについても調べてみました。標高についてはweb国土地理院地図に表示されるようになっています。備前丸標高45.9m(場所によって少し差はでますが)、三国堀横28.4mその差17.5mで1/350にすると50㎜です。東京マルイ姫路城のほうを測ってみますと、29.5㎜となっていて約2センチ高さが足りません。まあ、縄張図などで石垣高を記したものはありますが、地表面高を記した図面はないので、ここを正確に再現するのは難しいのでしょう。図面というよりか地図の範疇ですから。
次の図面は、学研歴史群像名城シリーズ姫路城116,117ページ「姫路城保存修理工事報告書所収」の東面南面立面図です。四重目に達する二重目の巨大な入母屋造の屋根で姫路城大天守の外見的特徴となっているところですが、南面立面図でみると武士の正装である裃の肩衣のように棟が外側水平に張り出しているのが分ります。実物姫路城大天守の写真を改めてよく見てみると、どっしりと収まった感じではなく、見上げるものに覆いかぶさるような緊張感を与える効果を狙っているのかも知れません。(ここまで張り出しているのは姫路城ぐらいかもしれません。)
東京マルイ姫路城と比べてみると赤色の部分が異なるところです。私のクセで比較しているとすぐにどう改造するか考えてしまいますが、図面でみると入母屋屋根の瓦も上部が広く下部にいくに従って狭く葺いていますので、単にプラ板で拡張するだけでは済まず、難しいところです。スライド金型を使わない通常のプラモのパーツは縦にプレスして作成されるので、この「オーバーハング」が再現されないのは仕方ありません。(お城プラモがガンプラなみに売れればスライド金型でのパーツ造りもできるんだろうけどねえ・・・)今回はここまでです。