徳川大坂城模型制作(敷瓦じゃなかったか)

 長いことお城プラモ制作から遠ざかっていました。徳川大坂城ですが、ようやく取り掛かるモチベーションが戻ってきました。少し言い訳をさせていただきますと、ちょうど天守台への石段の制作をしているところで、迷宮入りしておりました。

 写真は、大阪城天守閣に展示してある現天守閣工事時の模型です。この模型の周囲には、上階にある徳川大坂城天守模型の横にある「撮影禁止」が掲示されていません。(ということは、紹介してもいいか・・・と載せています。)旧ブログで行き詰まっていた各面の天守台の高さの違いは表現されず、同一平面に天守台があるようです。私は、天守台の東面の地面(この写真でいうと右側)は西面の地面より高いと解釈しております。

 確たる根拠は出てこなかったのですが、石段に関しては、旧ブログで紹介した初代は、どうも高さが低くなってしまっていたので、2度作り直して、この写真のは3代目となります。プラパテがついているところは、天守台西側の高さと平面にしないと模型制作しにくいというか無理(そもそも、底面が斜めの模型はよう作れまへん。)なので、かさ上げしているところです。

 次の写真は、金明水井戸の段をとりはずしていますが、この段の斜め敷石についての解釈に触れておきます。

 写真は私が大阪城小天守台石塁の高さを測るのに撮影したもので、敷石が斜めの正方形になっています。旧ブログで紹介した「大坂諸絵図」中の「廿九御天守台絵図」で、江戸時代においても、そうだったのは分かっているところです。

 しかし、敷「石」だったのでしょうか?石に変更したのは、昭和の現天守閣復興の時であって、元は、お寺の本堂の床などにある「敷瓦」ではなかったのかと。天守創建時は、ここまで正確な正方形に石を加工しなかったんじゃないのかと疑っております。(ここは、そういう敷瓦解釈で作るつもりです。)

江戸城プラモデル写真の加工

  今回は、江戸城プラモデルの写真を紹介することとします。幻のお城の姿は、香川元太郎氏などの著名なイラストレーターによる再現、CGでの再現、もちろん模型による再現もあるところです。
 上の写真はパナLX9で撮影した江戸城プラモでして、もちろん俯瞰で眺めるのが好きな方もいらっしゃるでしょうが、私の場合どんな姿で佇んでいたのか、その場での情景を見てみたいということに尽きると思っています。先日NHKBSで放送されたザ・プレミアム「二条城~戦国から太平へ~」で二条城天守(千田嘉博先生によると豊臣秀長の大和郡山城天守の曳家!)がCG復元されていました。ご覧になった方はお分かりになったと思いますが、このNHKのCGは空気の霞み具合もよく計算されていて、実際の風景に合成して、こんな感じに見えただろうなと納得させてくれるものとなっています。

 「うーんこりゃいい」それに触発されてしまいまして、上記の写真を本格的に加工して、CGのようにはできないのかと試みてみたのです。いわば、お城プラモCG、それが下の写真です。江戸城本丸を西側の吹上側から見たものとなっています。画面左から北桔橋とその枡形門、巨大な乾二重櫓、その背後に見えるのは五十三間二重櫓、そして天守、右端の三重櫓は菱櫓となっています。結局、情景に見せるためには、「霞み」がポイントであるなあと分かったのでした。
 ちなみに、旧ブログでたくさん上げていたお城プラモ写真は、NAVERまとめ記事やブログなどに使ってくれたりして、実は作者としては嬉しいのです。これも、フリーとしますので、当方への連絡も不要、どんどん使っていただいてけっこうです。(消してもいいけど、城男のネームを残しといてくれたら大歓迎です。)

東京マルイ姫路城を見てみる(その1)

 みなさま、あけましておめでとうございます。本年もお城プラモ築城の道のりをどうぞよろしくおねがいいたします。

 お正月はひさしぶりに映画を見てきました。評判の高い新海誠監督の「君の名は。」です。(「おまえのようなオッサンでもみるのか?」って、そりゃ、そこまで広がった大ヒット作って事ですよね。)それぞれのシーンの描き込みは、その場の空気感までを捉えていて凄く美しかったです。もちろんストーリーもよくって、アニメのいいところは、「これはアニメだから」という理由で、見てるほうも「こんなのありえない」というツッコミを封じ込めることができることですよね。なのでとても感動し、楽しめました。
 
 ところで、この映画の後半で、主人公の一人の立花瀧(絵が上手で建築好きという設定)が「誰かを探している」という思いに、自分の部屋で机に突っ伏しているシーンがありました。そして、その背後の床に、3段積みの箱があって、その上にプラモ塗料ビンらしきものが2つか3つ置いていて箱絵がお城に見えたのです・・・「お!お城プラモ作ってる」と思わず、私は嬉しくなってしまったのでした。これから又は再度見ようとしているお城プラモファンの方は、一度チェックしてみてくださいませ。%e5%9f%8e%e7%94%b7%e5%a7%ab%e8%b7%af%e5%9f%8e%e3%81%ab%e5%96%9c%e3%81%b6

 今回の記事は、先月購入した東京マルイの姫路城(1/350)の写真を紹介してみようと思います。発表時は、1/350スケールの完成城郭シリーズ第一弾ということで、発表アナウンスでは、今後、大阪城、名古屋城、熊本城、松本城を発売予定という事で期待は高まりました。今後の展開は姫路城の売れ行き次第でしょうけど・・・

 お城の模型は欲しいけど、プラモは作ったことがない、若しくは面倒で作りたくないといった方が購入されるのでしょう。43cm×36.5㎝で飾っておくにはいいサイズです。メーカー希望小売価格¥34,800(税別)で、うーん悩みどころ・・でも、ネットオークションに出品されてるプラモ完成品の価格帯とも微妙にからむ感じで、この際、未完成お城プラモキットとの比較をするべきではないでしょう。(東京マルイさん!組立キットならこの価格でも、私は逆に喜んで買います。透明ケースも化粧箱も要らない、ビニール袋にダンボール詰め、設計図は完成品の部分写真のみの限定サービスキットを出してください!!) %e6%9d%b1%e4%ba%ac%e3%83%9e%e3%83%ab%e3%82%a4%e5%a7%ab%e8%b7%af%e5%9f%8e001

 今回の写真は、買ってもらったPanasonicDMC-LX9での撮影です。撮影には同じPanaのDMC-G10という廉価版の一眼を使ってきました。私のお城プラモ写真は、基本室内撮りで、カメラについてるおまかせモード(iAというモード)の接写ではピントが奥まで合わないのです。マニュアルモードで絞り優先を使うと今度はホワイトバランスが合わず、その発色に困っていたのでした。なのでピーカン(古い言葉です)のお城写真で満足がいくものがなかったのです。(偶然撮れているものもありますが、なぜか再現できないという?写真の世界は深いです。晴天の富士山と駿府城天守がまず撮れていないですからねえ)lx9%e5%a7%ab%e8%b7%af%e5%9f%8e296

 このPanasonicDMC-LX9のいいところは、フォーカス合成という機能があることでして、どういう機能かというと、ピントをずらした4Kの連写をして、手前から奥までピントがあったものを後で合成して、パンフォーカスの写真を1枚作るというものです。たいていのカメラのうりには、「美しいボケ味」というのがありますが、私のような小さなプラモをあたかも本物のように撮りたい(自称)お城プラモ写真家には「ボケ」はいらんのです。

 話がカメラのほうにいってしまいましたが、次回以降この東京マルイ姫路城の細部に迫ってみます。

 

広島城プラモ制作記(お城プラモの石垣には手を入れるべし)

 引き続き、童友社のDX広島城の制作記事です。旧ブログの焼き直しで申し訳ないですが、旧記事がけっこう参考にしていただいているようで、城男おすすめ石垣塗装法なども試しておられるようです。(少しパテの乾き度合いが微妙で上手くいかないといった記事でしたが・・・)

 というわけで、お城プラモの石垣の塗装について私の手法をご紹介します。
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 写真は前回ご紹介した土台の改造部分に、グンゼの溶きパテ白(500)とフラットベース(ラフ)、さらにタンなどの薄茶系の塗料を混ぜてドロドロの石垣ベースを作りました。それをツヤ消し黒で塗装した石垣表面にのせていき、石垣の基本色とします。これが完全に乾燥する前に石垣をケガいていきます。(乾燥してからでもいいですけど、削ってめくれ上がった線の両側部分は後に粗目の紙ヤスリで軽くあてて削り、石垣塗装表面全体をザラザラにするのがいいでしょう) %e7%9f%b3%e5%9e%a3%e5%a1%97%e8%a3%85%e6%b3%95002

 メーカーさんには悪いですが、もともとの石垣のモールド線は、まったく無視して、実物の写真などを参考に、深く細くケガいていくという感じです。広島城の腰曲輪の石垣については、だいたいの印象でケガいています。
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  一応石垣がケガキ終わったら、本物の写真を用意して写真の石垣色を参考に調色します。この写真二の丸は、平成6年に復元されたものなので石垣も新しい状態です。写真で見る限り天守周辺の石垣はかなり古びたものとはなっていますが、完成からそれほどたっていない頃を再現したいので、この新しい石垣の色でいきます。

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 番号を振っていますが、1、2と6はお城プラモ駿府城で使っていた石垣色です。この写真の色の特徴を見てみると西日本のお城によくあるタン系、茶系の色の石があざやかです。色見本の3は、タンとセールカラーを1対1で作った色です。4はその色にダークアースを混ぜて作っています。難しいのは実物写真で白く見える石ですが、そのままだと、塗装したとき、どうしても浮いてしまうので、ややグレーを混ぜたりしています。

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 また、それぞれの色にはフラットベース(ラフ)も多量に混ぜていて、塗ったあとに半ツヤなどにならないようにしています。(フラットクリアーを後に吹けばいいと思われるかもしれませんが、光の当てる角度によっては独特の半ツヤが出るのでおすすめしません。)

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 広島城の石垣はこの組み合わせで塗装したわけですが、お城ごとに石垣の積み方、色合いは異なりますので、よくよく観察して塗装するべきでしょう。この広島城では石垣の石ひとつひとつを飛ばし飛ばし塗っていきました。また、ひとつの石はよく見てみると、ベタ1色ではなく、表面のでこぼこ具合などによって異なる色合いになっているのがわかるはずです。そのため、作った色を薄めて変化をつけながら塗装しています。

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 手間はかかりますが、石垣の存在感が出てきます。博物館などに展示してある城郭模型で、石垣を塗り分けているのは少ないので、お城プラモ完成品が模型として勝ることができる大きなポイントだと思っています。(どこそこのお城の展示城郭模型より自分の作品のほうが精密だというのは気分いいですよ。おそらくは・・・)

駿府城復元記(櫓の作り方について)

 駿府城復元記の続きです。旧ブログと違い、滞っていたところに触れていないので、なにかサクサクと築城しているかのようにみえますが、屋根パーツ以外はプラ板からの制作ですからいろいろ苦労はしています。それらの難所ポイントなども紹介してみたいところですが、レジンキャストの屋根とか壁面づくりとか必死に作業しているので当時「写真」を残す余裕がなかったのです。

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 旧ブログでは、集合写真で紹介していましたが、できるかぎり作り方が分るよう説明してみます。1枚目の写真は、作成中の天守丸北東櫓を内側から見たものです。故内藤先生の駿府城天守は、天守丸多聞櫓の内側は御殿仕様とされており、私もこれに倣っています。この櫓は掛け造の三重とし、二重目には欄干を付け三重目の窓を華頭窓としています。写真左側に続く多聞櫓の内側も掛け造で舞良戸と欄干の組み合わせとしています。
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 2枚目は、壁面を作成しているところで、0.5ミリプラ板で上部、窓の高さの部分、下部と3段になっているのです。窓の部分をくり抜くという方法もありますが、シャープな窓枠に切り抜くのは難しいでしょう。ピンセットでつまんでいるのは格子で、三浦正幸先生の「城の作り方図典」によれば、窓の半分が半間で3本が標準とされています。お城プラモ広島城の御殿では、石屋模型店さんの「汎用格子セット」を使いましたが、駿府城作成時は100円ショップで買ったナイロンブラシの毛を使っていました。(なので緑色です。)
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   3枚目は、北面と西面の欄干(6.5尺間の欄干)の取り付け後の画像、画面中央は、7尺間の欄干(天守用)を作る冶具で、0.3×0.5ミリプラ棒をここに合わせて欄干を作るようにしています。
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    次の写真は、南西櫓でして、故内藤先生の図面では南北棟の長方形の櫓で、他の復元模型もそうなっていますが、私は前回紹介した東照宮縁起絵巻天守像の南西櫓の棟に合わせるため、現駿府城にある巽櫓のように「く」の字になった櫓と解釈し、そのように作っています。また、大日本報徳社蔵「駿州府中御城図」では確認できませんが、喰い違い虎口の石塁に多聞櫓をのせています。問題は、この南西櫓の1階から石段がこの石塁まで接続していて、どうもしっくりこないところです。 今回はここまでといたします。
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