今回は、少し制作中の徳川大坂城から離れて、城郭模型見学の記事です。日差しの強烈な8月27日暑い日でしたが、早朝からバイクで名阪国道を東へ、三重県に入って南へ伊勢まで走りました。目的は、前から見てみたかった、おそらく日本で最も有名な城郭模型で、ひめじ観光大使井村裕保氏が制作された1/23姫路城模型(「伊勢の姫路城」とも呼ばれていますね)です。
個人のお宅の庭にある模型を拝見させていただくのですから、まずは名刺(お城プラモ写真と実名が入ってます。)でご挨拶させていただきました。井村さんからいただいた名刺には、ひめじ観光大使とあり、姫路市に任命されていらっしゃることがわかりました。
この姫路城模型は、備前丸(本丸)、二の丸、乾曲輪、西の丸、井戸曲輪、上山里曲輪、下山里曲輪、内曲輪の一部を含めた広大な範囲を模型化されています。また、この城郭模型の最大の価値と魅力は、今は見ることができない失われた櫓、御殿など綿密に調査もされ復元し、学術的な価値も高く、盛時の姫路城の姿を現出させているところにあります。
二人模型の前に立って、城郭模型の大先達にいろいろお話を伺いました。壁や屋根はFRPで作っているとのことで、興味がある屋根瓦について伺ってみると、丸瓦の幅は、1尺程度で「型」をつくって流し込みで作成されているらしいです。(「1/350とか小さいのは大変やろ」と同情していただきました。まったくそのとおりではあります。)
備前丸の高さとかどのように調べられましたと伺うと、現地に行って全部自分で調べたとのこと、石段の段数から再現し、「やるからには徹底的にやらにゃ」とおっしゃっていました。(この城郭模型を完成させるには、それは堅い意思が必要でしょうから、井村さんの姫路城に対する思いの強さを知るとともに、私としては我が意を得たりという感じでしょうか。)
大天守に話を移して、大入母屋屋根の妻面は傾斜していますよねと話しをすると、「プラモデルなんかでは、再現されてるのがない。あれがこの城のいいところ」と断言されていました。(おそらく、この姫路城模型を作成するのに、参考になるものは、なんでも確認されていて、妻面のオーバーハングなどよく分っておられるようです。)
かって備前丸に存在した、多聞櫓、櫓、備前丸内の御台所、上御台所も再現されているので、その図面について伺ってみると、図面はあって姫路城から提供を受けたとのことで、「推定で作っているところもある」とのお返事でした。また、諸図面については「当時の大工の考え方で、6尺間(江戸間)と6.5尺間(京間)のどちらかになっていて、よくよく調べないとわからない」と言っておられました。(図面には江戸間で書いたとか注釈などないですからね)
訪問した時点では、天守、小天守の修繕中(今回掲載の写真の反対側)でしたが、西の丸の千姫御殿についても「完成時は、瓦葺きだったけど、あとで史料がみつかって、檜皮葺きに変更した」とのことで、史料が見つかればそれに合わせるという正確さへの徹底ぶりで、名庭園のごとく常に手を入れられているというのも素晴らしいと感じ入ったところです。
(私のお城プラモ作りも後で史料がでれば改変するスタンスに立てば、も少し早く作れるかも知れません)
最後に、お話が伺えてとお礼を申しあげると「あんたもこれ(名刺に刷った広島城プラモの写真)はなかなかいいので、がんばって」と言われました。(こんな方に、ほめられるとほんと嬉しいですねえ)
(注:上記写真は、実物のようにみせるため、背景に映り込んだ木々を写真上カット加工しているものがあります。)