春の和歌山城訪問(桜はほぼ終わっていた・・)

 ブログ更新を1週間とばしてしまいました。申し訳なかったです。3月末から急に暖かくなって、桜前線も素早く駆け抜けてしまって、ゆっくり見る機会を持てませんでしたねえ。お城でお花見というのは、静かにお城を眺めたいというのがあるので、自分の中では好ましい組み合わせになっていません。(拒否するほどではないですが、人が少ない方がいいですから)

 そんなことを言いながら、桜が残っていることも期待して和歌山城に行ってきました。残念ながら、多くは葉桜になっていて、ほぼ散ってしまっていました。本当の目的は、徳川大坂城の小天守台に本丸御殿から多聞櫓か橋廊下がつながっていたようで、橋廊下であるとすれば、実物は和歌山城に復元されているので、一度それを詳しく見たかったからです。(次の図は橋廊下近くに掲示してあったパネルのもの)

 気になっていたのは、瓦の葺き方でして、橋廊下は傾斜して架けられていますから、屋根瓦を地面に対して垂直方向に葺いているのか、大棟に対して直角に葺いているのかを見ておきたかったのです。説明パネルに図面が掲載されていたので載せておきます。うーん図面では、瓦の葺き方は描かれていないです。

 橋廊下の内部をのぞいてみますと、けっこう傾斜のある廊下となっています。

もちろん内部にも入れるのです。おもしろいのは、床が階段状になっているのかと思いきや、逆のこぎりの歯状というのか、やすり状というのか強力な滑り止めがかけられていました。土足厳禁なので足の裏に食い込みましたね。

 瓦葺きのほうですが、実物はというと、写真から確認できるように、平瓦と丸瓦を一つにまとめた桟瓦(さんがわら)を大棟に対して直角方向に葺いているようですね。発掘では本瓦も出土しているようですが、専用の桟瓦(左右それぞれのもの)が用意されて葺かれていたようです。桟瓦の発明は延宝2年(1674)と伝えられていますので、それ以降となるのでしょうか。発掘されたものを見ると「蝋燭桟瓦」ではなく、完成形のほうなので時代的には、もっと下っているのかも知れません。

 徳川大坂城小天守に斜め橋廊下が屋根付きで架かっていたのならば、時代的には桟瓦はなく本瓦となりますが、葺きにくいものになっていたであろうなと思います。