徳川大坂城模型制作(がんぎは雁木か岩岐か)

 前回に引き続き徳川大坂城制作記事の続きです。まずは、お恥ずかしい話をひとつ、私は、お城の古図面を眺めて、いろいろとお城プラモ制作に取り入れているのですが、古図面の文字は、もちろん「くずし字」でして、文系の学部はでたものの、古文書の勉強などはいたしておりませんので、くずし字辞典などを引きながら四苦八苦しながら読んでいるところです。

 写真は、「大坂諸絵図」中の「廿九御天守台絵図」の一部(松岡利郎先生の「大阪城の歴史と構造」掲載)ですが、この赤丸の「岩岐」がなんのことか分っていなかったのです。お城を研究などされている方から見ると、「こいつ気づいてないなあ」と思われていたかもしれません。まあ石段のことであろうとほぼ考えず解釈していました。大坂城小天守台の地面は石が張っていたのかどうか、この絵図を見ながら考えてるときに、あれ?と気づいたのでした。

 「がんぎ」と読むべきでして、つまり雁木(石垣や土塁に昇降するために付設された石階段:wikiによる)のことでした。weblioの日中対約辞典では、岩岐石:(ガンギイシ)安山岩などを原料として四角い棒形に切った石材と出ています。いっそこっちのほうが正しそうですけどね。日ごろよく知っているふりをしてますから、なにか恥ずかしい感じがします。

 すらすらとくずし字が読めるようになりたいものです。

 

 天守台の制作状況のほうですが、入口の雁木(岩岐?)もこれでいこうと決めて、下の段から作り上げていこうとしています。

 一つ目の踊り場から左に曲がる次の雁木の左側には排水のための石造りの溝があります。お城プラモキットで再現しているものはないでしょうが、「あるものは、再現する」というスタンスですので作り込みます。昨年訪問したときの実物の写真をのせておきます。
 あまり上手くはできていないですが、この程度のものですわ・・・

徳川大坂城模型制作(春雨の大阪城)

 今回の記事は、昨日、お花見がてらに大阪城に行ってきたので、その写真を紹介しておきます。もっとも、あいにくのお天気で春雨に霞んだ大阪城天守。大阪城天守北西の青屋口から周辺の桜並木をながめながら二の丸梅園を通って、桜をめでてきたのでした。

 二の丸から眺める本丸東側の石垣は、ほんとに高いことが実感できます。この上に多聞櫓と三重櫓が並んでいたのですから、さぞや壮観な情景であったろうと思います。
 次の写真は、本丸北東端の糒櫓跡でして、宮内庁書陵部所蔵の写真(10番目の写真)で、その姿が残されています。

 

 あんまり進んでいませんが、徳川期大坂城模型の進行具合のほうも、紹介しておきましょう。

 天守台四隅には、プラ板面のスキマがありましたので、どろどろの塗料をのせているところです。
 
 石段横の石垣パータンを彫り込む準備もしています。この部分は古写真からおこしているので、正確には捉えられていないと思っていますが仕方ないところです。

徳川大坂城模型制作(敷瓦じゃなかったか)

 長いことお城プラモ制作から遠ざかっていました。徳川大坂城ですが、ようやく取り掛かるモチベーションが戻ってきました。少し言い訳をさせていただきますと、ちょうど天守台への石段の制作をしているところで、迷宮入りしておりました。

 写真は、大阪城天守閣に展示してある現天守閣工事時の模型です。この模型の周囲には、上階にある徳川大坂城天守模型の横にある「撮影禁止」が掲示されていません。(ということは、紹介してもいいか・・・と載せています。)旧ブログで行き詰まっていた各面の天守台の高さの違いは表現されず、同一平面に天守台があるようです。私は、天守台の東面の地面(この写真でいうと右側)は西面の地面より高いと解釈しております。

 確たる根拠は出てこなかったのですが、石段に関しては、旧ブログで紹介した初代は、どうも高さが低くなってしまっていたので、2度作り直して、この写真のは3代目となります。プラパテがついているところは、天守台西側の高さと平面にしないと模型制作しにくいというか無理(そもそも、底面が斜めの模型はよう作れまへん。)なので、かさ上げしているところです。

 次の写真は、金明水井戸の段をとりはずしていますが、この段の斜め敷石についての解釈に触れておきます。

 写真は私が大阪城小天守台石塁の高さを測るのに撮影したもので、敷石が斜めの正方形になっています。旧ブログで紹介した「大坂諸絵図」中の「廿九御天守台絵図」で、江戸時代においても、そうだったのは分かっているところです。

 しかし、敷「石」だったのでしょうか?石に変更したのは、昭和の現天守閣復興の時であって、元は、お寺の本堂の床などにある「敷瓦」ではなかったのかと。天守創建時は、ここまで正確な正方形に石を加工しなかったんじゃないのかと疑っております。(ここは、そういう敷瓦解釈で作るつもりです。)

駿府城の写真

今日は、1日かけて駿府城と富士山の写真を作成しようといろいろと試していたのですが、難しいです。明るさはなんとかなったのですが、今度は駿府城自体へのピントが甘くなってしまっています。この写真だけで今回はお許しを・・・5時間ぐらいかけたのでした。

彦根城プラモ天守の設計など

 仕事が混んでしまって、ブログ記事を1週間とばしてしまいました。どうもすみませんでした。今回は、彦根城プラモをPanasonicDMC-LX9で撮ったので紹介させていただきます。(え?「彦根城プラモなんか特にみたくない」ですって・・・まあまあ、このカメラに慣れるためのトレーニングみたいなものでして、ご勘弁を)ちなみに、撮影した映像はいろいろ加工処理も加えているので、このカメラを使えば写真が必ずこうなる訳ではないのでお間違えなきよう。

 このキットについては、あまりに実物と離れすぎているので「ツッコミ」を入れいるモチベーションが高まらないところです。そもそも各階平面が違いすぎているので「彦根城を名乗る若しくはイメージしたお城プラモ」ってとこでしょうか。前回再建岡山城天守でも触れたように、お城プラモも設計段階で、もう少し細かいところでこだわっていれば、こんな「残念な天守」にはならなかったのにという思いがつのるのでした。

 お城に対する敬意、憧れ、こだわりを持つ設計担当者がおられたのだったら、私たちは今とかなり異なる状況を目にしていると思うのです。なにをえらそうにと叱られそうですが、古い世代のプラモデラーの方であれば、昔の模型屋にプラ模型の帝王のように鎮座していたニチモ1/200戦艦大和(大きな店だと組み上げられた完成品がショーケースに飾ってありましたね。)を覚えておられるでしょう。

 あれこそ、後にグラフィックデザイナーとしてニチモから独立し「軍艦メカニズム図鑑」やタミヤの「軍艦雑記帳」を書かれていた故森恒英氏が設計したものです。(wikiによる)

 この方の書いたイラストは、興味のない対象物(例えば弾薬箱)でも魅せられてしまうと言えばいいのでしょうか素晴らしいです。故森恒英氏が軍艦に持っておられたこだわりをお城に対して少しでも持つような方が、メーカーにおられればなあと思うのは、ないものねだりなんでしょうねえ。

 これからは、3Dスキャナーや3Dキャドが、もうありますから実物や建築図面などがあれば、完全縮尺のお城プラモもキット化されるかも知れません。石垣だって3Dで撮影して、写真の3Dフルカラーをテクスチャープリントすれば、もう色味で悩む必要もなくなるでしょう。

 世の中は産業革命のようなものすごい変化が起こっているようですが、お城プラモもその恩恵に預かれればなと思います。(ただし、3Dプリンタは私も関心がありますが、現段階では1/350お城プラモに使える精度ではないです。)とりとめない話になりました。今回はこれにて・・・

岡山城訪問記(再編集)

 旧ブログでは、近辺のお城の訪問記も載せておりましたので、少しずつ再録してみることにします。ただし、そのままではぜんぜんおもしろくないので、訪問以後いろいろと考えたことなども含めて記事にしていきます。

 岡山城は昨年5月のきもちのいい季節にバイクで訪問しました。自宅から往復520キロほとんど高速道路の長距離移動です。それでもウキウキと楽しい旅でした。岡山城天守の魅力は、安土城に倣ったともいわれますが、なんといっても不等辺の土台に、非対称 の建物を建てていることでしょう。不等辺天守台にあわせて、天守があげられていてその美的感覚は日本人独自のものかも知れません。とても好きな天守です。

 ただ、現在の復元天守は、戦前の天守と比べて外見相違点が多いのです。それは「学研の歴史群像シリーズ岡山城」で広島大学の三浦正幸先生も指摘されていて、窓など全部ちがっているといっても過言ではないとまで書いておられます。一度、お城プラモでの比較と同じように見てみます。

 次の写真は、現行天守と旧天守の写真を並べたものです。少し撮影角度は異なりますが、仔細に比較してみますと、まず各重の入母屋破風の形状、高さが異なることが分ると思います。旧天守のほうが、屋根の曲線(そり)がより深く、妻壁は、仁科章夫氏実測図面にはありませんが、以前の記事で紹介した姫路城天守の入母屋破風のように「オーバーハング」があるように見えます。三浦先生が指摘しておられる各壁面の窓、漆喰部分と下見板部分(下見板張りの押し縁の幅も旧天守はもっと細かいようです。)との比率も異なるのですが、「似てないなあ」と感じるのは、この屋根の形状が大きく異なるのが最大の原因であると言えるでしょう。

 旧ブログでは自分の撮影した現行天守像を写真コラージュで改造して掲載していましたが、あれは屋根はあまり改造していなかったので、今回もう少し図面などとも比べながら作成してみました。ちなみに現行天守最上階には華頭窓はありませんが、旧天守は、豊臣時代の天守最上階パターンで3間×3間の華頭窓付きとなっています。(現行天守が耐震改修とか大改修するときには是非とも屋根を改造してほしいものです。)

 

東京マルイ姫路城を見てみる(その4)櫓は引き立て役か?

 購入した東京マルイ姫路城についての記事の続きです。お城プラモを持っている楽しみは、実物の写真などにはないようないろいろな角度から眺めることでしょうか。実在の天守などは、周辺の木々の位置などから、撮影ポイントがだいたい固定されてしまいます。姫路城であれば三国堀から天守を望むものがオーソドックスなものとなっているところです。天守北側は原生林で切れ込んでもいるため、北側から天守を望む写真はとても少ないです。(遠望しているものならあるようですけどねえ)お城プラモならそれを自由に自分の好きな位置から見ることができるです。

 さて、いじわるですが、東京マルイ姫路城の「もうすこし何とかしてほしかった」ポイントの指摘をしていきましょう。天守西側乾小天守下の「水の二門」です。二の櫓(くの字の建物)の天守側の屋根が実物は「入母屋屋根」ですが、プラモのほうは「切妻屋根」でここは違いますねえ。(たぶんグーグルアースでは確認できないからでしょう。)
 次は、見学通路にもなっている「ろの櫓」の形状です。(窓とか再現してほしいところですけど、多くの櫓が「のっぺらぼう」となっています。)角に石落としがありますが、プラモには再現されていません。童友社の姫路城キットはさすがにこういった省略していません。東京マルイ姫路城の一部土塀は、塗装で狭間を表現していますが、櫓の窓についても最低塗装表現をしてほしかったところです。この点はこの製品の最大の弱点であると思います。

 次の写真は、「北腰曲輪」の比較です。さきほど触れたように、童友社の1/380姫路城の正面扱い、お城的には搦手になる方向で、ネットなどでも写真はなかなかありません。(この方向から撮ろうとするとドローン撮影しかないですが、禁止されているので絶対にだめですよ。)左の画像はグーグルアースの過去画像でポリゴンでの再現になっています。(現状画像は、天守修理の覆いがかかったもので更新されていないです。)「北腰曲輪」の「ホの櫓」(二階建)の屋根の位置が異なりますが、図面で確認するとグーグルのポリゴンが間違っており、東京マルイの位置で正解です。

 グーグルアースの画像は、現在作成している徳川大坂城の図面づくりに多用していますが、衛星からのものですから、どうしても歪がでてしまったりするので、全面的に信用することはできません。特にポリゴンは写真でなく誰かが作製しているので間違いもあるところです。

 東京マルイ姫路城北腰曲輪もう少し詳しくみてみると、ホの櫓の1階部分の唐破風もあり再現しようとしてあるのですが、屋根の最上部までの高さを図面との照合すると壁面の高さが足りないのです。模型の高さ(北腰曲輪地表面から)は約27㎜となっていますが、姫路市立城郭研究室の断面図には、35.26尺とあり、約10.7mで1/350では約30㎜となり、本物に比べて模型は低いです。2階部分の壁面の高さ足りないものと思われます。

 お城プラモ的には、あくまで天守が主人公で、周辺の櫓などは「引き立て役」ってことでしょうが、この北腰曲輪は、曲面で構成され、ホの櫓に繋がる多聞櫓の屋根の高さも異なるようで、建築物としての造形はとてもユニークで魅力のあるものです。私としてはこだわって欲しかったですね。城郭模型を眺める楽しみは、いろんな角度から眺めて、こんな建築物だったのかと驚かされるところにもありますから・・・

旧ブログが消えてしまって少し寂しいです

 今回は、消えてしまった旧ブログで掲載し、Google画像検索(「お城プラモ」検索)で、まあまあ上位をとっていた写真をあげておきましょう。現状で検索結果に出てくることは出てくるのですが、blog.zaq.ne.jpの分はすべて画像表示できず、終了のお知らせが出てくるのみです。
 しまった!一体旧ブログでどれだけの記事を書いていたのかとか確認しておけばよかった・・・すでに遅しでありました。駿府城をつくっていて、たくさん見ていただいた頃は、1日平均130pv程度、昨年は50pvを割ってしまいました、お城プラモ作れてないからねえ。 写真は、広島城プラモの完成時のものですが、まだフィギュアや御殿屋根に天水桶などを追加していないときのものです。手前の木々には焦点があわずちょっとピンボケです。もう電池が死んでしまって使えなくなったpentax I-10で撮ったもので、発色などは気に入っていました。
 次の写真は、PanasonicDMC-G10で撮ったものでして、彦根城プラモです。キットに付属している櫓などは作っていません。現状の姿のつもりで作成したものです。桜が咲いていて、ほかの木々が緑というのは、あまりにデタラメでして、お恥ずかしいところです。中央石垣下の木の柵とかなどは実際にあるものです。多聞櫓の出入口なども再現しているつもりですが、本物の多門櫓は、写真中央の石垣の折れ曲がったところぐらいまで来る長さがあります。実物とはいろいろと異なるところが多いお城プラモではあります。
 ただ、写真の撮りようによっては、それっぽくみえるようにも出来るようで、光の当たり方などはなんとか屋外の雰囲気は出せたようです。ただし、鳥衾も再現していないし、下から見上げているので屋根裏のスカスカ感が実物感というか精密感を損ねています。
 次のものは、江戸城プラモのものです。これも、pentaxI-10での撮影で発色は気に入っています。

 これも江戸城ですが、確かiphone3Gで撮っていて、壁面が黒つぶれしてしまっています。旧ブログの最初の記事にあげたものでした。

 はやく徳川大坂城を完成させて、いろいろな方向から写真を撮ってみたいところです。

江戸城プラモデル写真の加工

  今回は、江戸城プラモデルの写真を紹介することとします。幻のお城の姿は、香川元太郎氏などの著名なイラストレーターによる再現、CGでの再現、もちろん模型による再現もあるところです。
 上の写真はパナLX9で撮影した江戸城プラモでして、もちろん俯瞰で眺めるのが好きな方もいらっしゃるでしょうが、私の場合どんな姿で佇んでいたのか、その場での情景を見てみたいということに尽きると思っています。先日NHKBSで放送されたザ・プレミアム「二条城~戦国から太平へ~」で二条城天守(千田嘉博先生によると豊臣秀長の大和郡山城天守の曳家!)がCG復元されていました。ご覧になった方はお分かりになったと思いますが、このNHKのCGは空気の霞み具合もよく計算されていて、実際の風景に合成して、こんな感じに見えただろうなと納得させてくれるものとなっています。

 「うーんこりゃいい」それに触発されてしまいまして、上記の写真を本格的に加工して、CGのようにはできないのかと試みてみたのです。いわば、お城プラモCG、それが下の写真です。江戸城本丸を西側の吹上側から見たものとなっています。画面左から北桔橋とその枡形門、巨大な乾二重櫓、その背後に見えるのは五十三間二重櫓、そして天守、右端の三重櫓は菱櫓となっています。結局、情景に見せるためには、「霞み」がポイントであるなあと分かったのでした。
 ちなみに、旧ブログでたくさん上げていたお城プラモ写真は、NAVERまとめ記事やブログなどに使ってくれたりして、実は作者としては嬉しいのです。これも、フリーとしますので、当方への連絡も不要、どんどん使っていただいてけっこうです。(消してもいいけど、城男のネームを残しといてくれたら大歓迎です。)

東京マルイ姫路城を見てみる(その3) 屋根瓦の間隔

 前回に引き続き東京マルイ姫路城の再現度の検証を記事といたします。お城プラモをできる限り本物に(幻のお城ではかなわないことですが)忠実に再現したいと思ってつくってきましたが、あまり触れてこなかった重要な構成要素が、「屋根及び瓦」でして、ひとつには細かすぎて自作に自信がないというのもあって、正確なのかどうかに目をつぶってきた訳です。姫路城プラモとの一門

  旧ブログでは童友社1/350の屋根のピッチは1㎜が多いと書き込んでいましたが、東京マルイ姫路城の屋根瓦を調べるついでに、いろいろ測ってみようと思いました。小天守屋根比較

 まず、左の写真の手に取っているのは童友社1/350松本城の乾小天守の屋根です。姫路城東小天守の屋根と同サイズのようで比較にいいでしょう。古い童友社キットの屋根は入母屋軒の掛け瓦が長くバランスはあまり良くありません。降り棟から直接出ていると解釈したのが間違いの元だったのでしょう。真ん中の写真は、その乾天守の屋根の丸瓦の幅が何ミリの間隔(ピッチ)になっているのかを測ったものです。10本で12ミリですから、1.2ミリピッチとなります。右の写真は東京マルイ姫路城の屋根のピッチを測ったものです。10本で9ミリで、0.9ミリピッチです。(期待できますねえ、ちゃんと本物にあわせているのか?)西小天守模型

 写真(次の写真を含む)右の図面は、前回も引用した学研歴史群像名城シリーズ姫路城116,117ページ「姫路城保存修理工事報告書所収」の東面南面立面図の西小天守です。左写真が東京マルイ姫路城西小天守南面で、三重目屋根の降り棟の間の丸瓦が何本あるか数えてみますと、両方とも14本で正確です。(こんなのが私は嬉しいのです。ひゃっほー正しく作ってる!って)姫路城対照

 東京マルイ姫路城の屋根瓦は西小天守の図面比較して正確との結論としておけばよかったのですが、大天守も比較してしまったのでした。前回も少し触れました大入母屋屋根の棟の長さ以外にも大天守の屋根には相違点もあります。
 写真に記載しているように図面と比較すると四重目屋根の千鳥破風壁面下と三重目比翼入母屋屋根壁面下の屋根の入り込みが足りないこと、五重目屋根の降り棟の長さがやや長いことなどです。
 問題は、丸瓦の本数でして、五重目中央の降り棟と両側の降り棟の間にそれぞれ16本あります。右の図面を数えてみますと、17本あります。(ピッチが正確じゃなかったのか?)がっかりしかけましたが、よくよく図面と比べますと大棟の長さが東京マルイ姫路城のほうが短いように見えます。1ピッチ分両方に延長(改造でいえば一旦カットして間にはさむ)すれば正確な姿になるかも知れません。(改造可能となると私はなぜか納得してしまうのでした。ただし、大入母屋屋根延長は改造法が思い浮かびません。)キット瓦ピッチ比較

 今回のおまけは、童友社広島城、同1/350江戸城、同1/350大阪城の屋根の瓦ピッチがわかる写真です。左の写真は、広島城完成品の天守大屋根です。0.98ミリぐらいかな・・・降り棟間には17本あります。ええっと本物図面を数えるとげげっ19本(ううう・・数えるんじゃなかった・・・orz)、中央は江戸城の天守大屋根でして、1ミリピッチぐらい(本物の図面は存在しないからなあ、これでもいいわなあ)、右の写真は大阪城だけど、0.8ミリピッチ!(もう図面と比較する気なしになっています。)お城の屋根瓦のピッチというのは、平瓦のサイズもいろいろあるようで、均一ではないようですが、なにをもって、その幅を決めたんでしょうか、また調べておくこととします。
 今回は、広島城プラモ屋根が再現されていないのが判明して、かなり気落ちする記事となってしまいました。実物写真を仔細に見ればわかるもので、どこかお城プラモ=おもちゃの延長と思われているのでしょうか、1/350お城プラモに正確さを求めるのが間違っているのかなあという気分です。寛永度江戸城プラモデル

    最後の写真は、PanasonicDMC-LX9での撮影した江戸城プラモです。この写真が撮れたので少し気分は晴れたところです。