広島城プラモ制作記(土塀と控え柱などについて)

 童友社DX広島城の制作の記事の続きです。本年も当ブログをご覧いただきありがとうございました。今年は、仕事などが忙しくお城プラモに力を注げませんでした。旧ブログの廃止もあって、今までの記事を残したくて再編したのですが、焼き直しですので面白いものではなかったかも知れません。お城プラモを始めようとする人の参考になればとは思っております。
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 さて、今回は広島城プラモの最終回ということで、土塀、樹木の制作について書いておきます。広島城プラモキットの土塀についてですが、モールドが方杖らしき細かいものが入っており、想定としては白漆喰塗りということでしょう。
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 平成6年に復元された二の丸の土塀は、内側に控え柱を立てた様式で、本丸についても同様であったと三浦正幸先生は歴史群像広島城の中で触れておられます。土塀の図面は持っていないので、二の丸表御門の写真から1間を6.5尺として換算し土塀の高さを割り出し、自作することとしました。瓦屋根部分はキットのものを削って作ったものです。外側の下見板張りは、プラ板で作ったものです。右の写真に左が自作、右がキットの土塀です。
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 次の写真は、自作した土塀を型にとって、レジンキャストで複製したものです。(なかなか、ちゃんとした複製品ができなかったので、すべてつくるのとどちらが労力がかかったのかはわからないところで、おすすめしません。)
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 控え柱も土塀の裏側に取り付けていきました。実は手抜きでして、土塀の柱毎に立てるのを、一つ飛ばしで立てています。
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 樹木については、ミニネイチャーという鉄道模型用のツタを細かくちぎり、プラランナーを熱して伸ばしたもので作った樹木の幹と枝に、瞬間接着剤で取り付けていったものです。それらしく見えるようにするためには、葉っぱのほうをできるだけ細かくちぎり、樹木の中心部分はスカスカにしておくことです。いろいろなお城プラモの完成写真をネットで拝見させていただきますが、おしいかなモコモコが多いですねえ。%e5%ba%83%e5%b3%b6%e5%9f%8e%e6%9d%b1%e9%9d%a202

 ざっと、いままで説明したディテールアップで、広島城プラモを完成させたものです。あと、モデラーズエキスポ2014のコンペに応募するために、フィギュアを追加しておりますが、それはまた、別の機会にでも紹介いたしましょう。ちなみにこの広島城プラモ「天明元年盛夏 広島城」は、モデスポコンペに入賞させていただきました。(自分で書いとかないと記録に残らないですからねえwww)
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 ここ数カ月かなりお城プラモ作成モチベーションがさがってもいましたので、というかそれを理由に東京マルイの姫路城を購入してしまいました。あと、城男作者にお城プラモ撮影用に欲しかったパナソニックのDMC-LX9をねだっていると、なんと本当にプレゼントしてくれたのでした。(ひえー)そんな訳で、とても幸せな年末を迎えています。次回は、この姫路城を紹介させていただきます。まだまだ、LX9(ひとつ前の写真など)使いこなせないですが、今後は、これでお城プラモを撮影していくことにいたします。
 ご覧いただいているみなさまが良いお年を迎えられますようお祈り申し上げます。

広島城プラモ制作記(広島城御殿の茶室について)

 童友社DX広島城の制作の記事の続きです。私がお城プラモを作る最大の動機は盛時のお城がどんな情景であったのか見てみたいというもので、キットに御殿が入っていなくとも、天守脇が御殿の範囲であれば当然追加しようと考えるところです。%e5%ba%83%e5%b3%b6%e5%9f%8e017
     お城自体は、創建当初から江戸時代を通して存在し、御殿などは、その長い間には増築、改築など建て替えなども行われております。私が模型化しようとしたのは「御城御屋形絵図」(広島市立中央図書館浅野文庫蔵。以下の写真は学研歴史群像「広島城」43ページより引用)の表御殿、中奥、奥のうち天守脇の奥の部分となります。この奥の部分は元は歴代藩主の位牌所、庭園などがあったところで、この図は天明元年(1781年)以降の姿とされています。(同「広島城」43ページ「広大さを誇った本丸御殿」三浦正幸先生の解説より)
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   図面は、下が北で右下が天守、右中央に横たわっているのが南小天守に繋がる櫓(出入口は不明)画面下中央が東小天守となります。赤線で囲んだ部分を模型化しています。仔細に見ると柱が描かれているところもあり1間を6.5尺とすれば縮尺を1/350に換算できるのです。(図面には屋根が入っていないので、プラモの屋根は私の想定です。)
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     写真を見ていただくと、上記の図面より建物が大きく見えますが、屋根の軒の部分がありますので、この大きさとなります。建物が密集し、建物規模として小ぶりな印象も受けるところで、このあたりは模型化してみないと感覚的にはわからないところでしょう。
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      それでは御殿制作を順に紹介していきます。床を作って壁を立てていくのが順当なところですが、私の苦手は屋根瓦でして、お城プラモキットの流用していますから、まずは土台となる床を作り、それにあわせて屋根をつくっています。柿葺きの屋根はフジミの清水寺パーツの流用でカットして組み合わせていきます。瓦葺きのほうは、広島城の渡櫓のもの、江戸城キットの天守屋根をカットしたものです。
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   屋根と調整しながら、壁を立てていきます。
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%e5%ba%83%e5%b3%b6%e5%9f%8e%e5%ba%ad%e5%9c%92%e4%bf%af%e7%9e%b0   茶庭周辺の俯瞰写真です。
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広島城プラモ制作記(広島城天守のディティールアップ)

 童友社のDX広島城の制作の記事を続けます。今回は天守の改造部分の説明を中心に天守の完成にもっていく過程の紹介といたします。%e5%ba%83%e5%b3%b6%e5%9f%8e%e3%83%97%e3%83%a9%e3%83%a2%e3%83%87%e3%83%ab
この天守の改造はロボット、フィギュアをやっておられる「べに工房。」のべにたまさんの広島城ディティールアップ記事を参考にさせていただいています。%e4%b8%80%e9%87%8d%e7%9b%ae%e3%81%ae%e4%b8%8b%e8%a6%8b%e6%9d%bf%e6%94%b9%e9%80%a0
まずは、キットでは再現されていませんが、旧天守図面で確認すると、天守一重目壁の下見板張りの仕様が、縦板張で、二重目以上と異なるため、キットの下見板を削り取る作業を行いました。通常下見板張りでは、下の板(羽目板という)に上の板を被せるように重ねていきます。(これを鎧張りといいますが)さらに、この羽目板の上から縦に「押し縁、さらら子」という木材で押さえる形式となっています。ところが、旧天守一重目は、この羽目板が縦に張られていて、羽目板の継ぎ目に縦に押し縁で押さえる形式であるようで、特異な下見板であったようです。
ここの改造は、この広島城プラモデル制作の最大の難所で、イエローサブマリンの0.14mm厚0.5mm幅のプラストライプというプラ材を縦半分に切って0.25㎜幅にして、1本ずつ張り付けていく作業で、なかなか垂直、かつ並行にそろってくれないので疲れ果てました。%e5%ba%83%e5%b3%b6%e5%9f%8e%e5%a4%a9%e5%ae%88%e7%aa%93%e4%bd%8d%e7%bd%ae%e6%94%b9%e9%80%a0

 次に、キット北面(お堀側の幅広の側面)二重目西寄りの窓で、一重目の窓の上、同じ位置にありますが、旧天守一重目平面図と二重目平面図をよく確認すると窓一つ分西側に寄せなければなりません。同じく西面(お堀側の狭いほうの側面)の二重目の窓も左右ともに窓一つ分外側に寄せなければなりません。(写真ではそれぞれ、キットの窓を切り取って、もうひとつ買ってあるキットから、白いパーツを移植しています。)ちなみに写真で確認する限りでは、広島城に展示してある広島城天守模型も、この二重目北面窓に関しては位置が誤っていると思います。%e5%ba%83%e5%b3%b6%e5%9f%8e%e5%a4%a9%e5%ae%88%e5%9b%9b%e9%87%8d%e7%9b%ae%e5%b1%8b%e6%a0%b9%e6%94%b9%e9%80%a0

 天守の外見に関する改造はあと一つあります。キットでは四重目屋根が正方形となっていますが、図面で確認すると南北辺と東西辺の長さが74.5:69の比率です。東西の辺の屋根を3㎜切り縮め、最上階(これは正方形)が入るように屋根を一部を削り、屋根裏を4重目の壁に入るように削ることで対応しました。屋根の四方から上がってくる隅棟(すみむね)が欄干の四方の角につながっていないのが分ると思います。%e5%ba%83%e5%b3%b6%e5%9f%8e%e5%a4%a9%e5%ae%88%e6%9c%80%e4%b8%8a%e9%9a%8e%e5%a1%97%e8%a3%85

 基本の外形ができたので、ディティールアップです。それ以前に正確に塗装するのも非常に大切なのは言うまでもありません。手をいれるために、キットの天守各面から五重目をカットしています。(そもそもキットの廻縁に床板がないので追加するためもあります)天守最上階には、キットにはモールドされていませんが下見板張りがあり、真壁造りで柱や梁も大きな特徴となっており、特に四方の柱は省略できないところです。そして、この広島城キット塗装の最難関は華頭窓の塗りでしょう。小さな面相筆で、色がのっているのかどうかわからないぐらい思い切り薄めた白木色の塗料を少しずつ「のせて」いきます。(まあ、時間かかりますけど、お城の顔の部分なので、じっくりいきたいところです。)
ところで、上記のごとく、いろいろと手を加えて実物の旧天守の城郭模型を作ったのですが、実物と大きく異なっているのは、この華頭窓でして、正直言って図面と比べると一回りオーバースケールです。(悲しい・・・)%e5%ba%83%e5%b3%b6%e5%9f%8e%e5%a4%a9%e5%ae%88%e5%b1%8b%e6%a0%b9%e8%a3%8f%e6%96%b9%e6%9d%96%e8%bf%bd%e5%8a%a0

 私のお城プラモは、下から見上げて撮影することも前提にしていますので、屋根の裏も、けっこう重要ポイントでして、広島城について言えば、古式な方杖(ほおづえ)は追加しておくべきでしょう。キットにもモールドされてはいるのですが、控えめで短すぎるのと、面になっていて棒にはなっておりません。なのですべてカットして、プラ棒で付け替えしました。これもすべての屋根ですので、時間はかかります。%e5%ba%83%e5%b3%b6%e5%9f%8e%e5%a4%a9%e5%ae%88%e9%b3%a5%e8%a1%be%e8%bf%bd%e5%8a%a0

 ずいぶん前に見て、見つけることができないのですが、プラモ城郭模型を作成されていた方のホームページにお城プラモデルの作成の何か条かの作法が掲げられていて、そのうちの一つに「鳥衾(とりぶすま)を追加すべし」というのがありましたね。鬼瓦のあたりにドリルで穴を開け、0.5mmの真鍮棒を瞬間接着剤で固定、爪切りで長さをそろえてカットしています。ドリルのあたりをつけるのが難しかったです。%e5%ba%83%e5%b3%b6%e5%9f%8e%e6%ac%84%e5%b9%b2%e3%82%a8%e3%83%83%e3%83%81%e3%83%b3%e3%82%b0

 欄干も、キットのものを薄く削り使っていたのですが、ライオンロアというメーカの日本軍艦用汎用手すりのエッチングパーツのピッチが合うことに気づき、2枚重ねで利用することにしました。
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 各窓の突上げ戸(0.5ミリ厚のプラ板)を各窓に付けていきます。つっかえ棒は、0.3ミリの真鍮棒を切って、これも瞬間接着剤でとりつけています。(写真は突上げ戸のエッジを塗装していないので白いままです。)あと、モールドでは短く飛び出していないので、屋根下の四方に出ている隅木も追加しています。1/350は小さなスケールですが、艦船などのジャンルと比較すると、まだまだ、お城プラモもディティールアップの余地があると思います。小さな城郭模型の世界をのぞき込んで、当時の風景に思いをはせるのは楽しいものです。もちろん作り込みが甘ければ、とたんに興覚めしてしまいますけど・・・%e5%a4%a9%e6%98%8e%e5%85%83%e5%b9%b4%e5%a4%8f%e5%ba%83%e5%b3%b6%e5%9f%8e%e5%a4%a9%e5%ae%88

 

広島城プラモ制作記(史料がない幻の広島城小天守)

   童友社のDX広島城の制作記事の続きです。天守の制作に入る前に小天守の改造記事にします。2つの小天守は、明治初期に取り壊され、図面なども残っていません。(古写真に東小天守の1重目に唐破風のみ確認できるものはあります。)その姿は徳川家光が命じた正保城絵図などにも描かれておりますが、正確な図面がなく、いわば幻の小天守となってしまっています。%e5%ba%83%e5%b3%b6%e5%9f%8e%e3%82%ad%e3%83%83%e3%83%88%e3%81%ae%e6%9d%b1%e5%b0%8f%e5%a4%a9%e5%ae%88%e3%81%a8%e5%8d%97%e5%b0%8f%e5%a4%a9%e5%ae%88

    写真は、キットのまま下見板張を塗装して仮組みしたものです。ちょっと首をひねってしまったのは、写真左の東小天守の1重目の入母屋が平側(長辺側)にあることです。見栄えとかで、建物を大きくみせるために他の天守(福知山城など)で例はあるけどねえ・・・なぜ童友社は、こうしたのかといろいろ考えてみました。ひょっとすると渡櫓の屋根の大棟が貫いて、その上に2重目をのせるパターンを考えていたのかもしれません。(小天守台が内側にずれているので、直線にはならず、ありえないですが)図面もないことだし色々と苦慮したのでしょう。 %e5%ba%83%e5%b3%b6%e5%9f%8e%e6%9d%b1%e5%b0%8f%e5%a4%a9%e5%ae%88%e6%94%b9%e9%80%a0

     さらに両小天守、何間×何間の2重目、3重目が想定されていたのかは分かりませんが、すそ広がりの屋根と建物バランスが納得できないので、改造することにしたのでした。妻側は広げず、平側を2重、3重と均等に低減するように壁面をつぎ足しました。(写真の白い部分)%e5%ba%83%e5%b3%b6%e5%9f%8e%e6%9d%b1%e5%b0%8f%e5%a4%a9%e5%ae%88%e5%b1%8b%e6%a0%b9%e6%94%b9%e9%80%a0

     東小天守の1重目屋根は、キットは2つ買ってあるので南小天守の屋根を流用することにしました。唐破風部分の移植などもありますが、入母屋屋根の改造は無理と判断しました。(写真左のものを削って右のものに加工)%e6%9d%b1%e5%b0%8f%e5%a4%a9%e5%ae%88%e3%81%a8%e7%b6%9a%e6%ab%93%e5%b1%8b%e6%a0%b9%e6%94%b9%e9%80%a0

     また、東側渡櫓の屋根の傾斜角度が広島城天守図面と異なっているので図面に合わせる改造をした上で、東小天守1重目屋根がぴったりと接続するようにしました。(キットの屋根は左のもので、角度が異なります。) %e5%8d%97%e5%b0%8f%e5%a4%a9%e5%ae%88%e6%94%b9%e9%80%a0

     南小天守も同じように2重目、3重目平側を拡張しております。%e5%ba%83%e5%b3%b6%e5%9f%8e%e5%8d%97%e5%b0%8f%e5%a4%a9%e5%ae%88%e5%b1%8b%e6%a0%b9%e6%94%b9%e9%80%a0

      屋根も改造が必要になります。左の写真は2重目屋根ですが、4か所カットして、そのスキマに左下に見える屋根の切れ端をカットして接いで2重目に合わせるようにしています。右の写真は、1重目で端をカットして、軒の長さのバランスを合わせました。(まあ私の感覚でですが・・・)%e5%ba%83%e5%b3%b6%e5%9f%8e%e6%94%b9%e9%80%a0%e5%be%8c%e6%9d%b1%e5%b0%8f%e5%a4%a9%e5%ae%88%e3%81%a8%e5%8d%97%e5%b0%8f%e5%a4%a9%e5%ae%88

     壁面の塗装、屋根の塗装が終わっていませんが。東小天守及び南小天守の改造の完了です。屋根の軒先もヤスリで整える必要もあります。私としてはバランス的には満足していて、現広島城にある木製模型の小天守に似た形状となったと思っています。%e5%ba%83%e5%b3%b6%e5%9f%8e%e5%8d%97%e5%b0%8f%e5%a4%a9%e5%ae%88

     自分のお城プラモの一部を写真で切り取って、それが鑑賞に値するものにしたい、私の願いであります。%e5%ba%83%e5%b3%b6%e5%9f%8e%e5%ba%ad%e5%9c%92%e5%8d%97%e6%9d%b1%e3%81%8b%e3%82%89

     幻のお城の風景、それもありふれた日常の風景、それを再現できればなあ・・・と%e5%9f%8e%e9%83%ad%e6%a8%a1%e5%9e%8b%e5%ba%83%e5%b3%b6%e5%9f%8e03

広島城プラモ制作記(お城プラモの石垣には手を入れるべし)

 引き続き、童友社のDX広島城の制作記事です。旧ブログの焼き直しで申し訳ないですが、旧記事がけっこう参考にしていただいているようで、城男おすすめ石垣塗装法なども試しておられるようです。(少しパテの乾き度合いが微妙で上手くいかないといった記事でしたが・・・)

 というわけで、お城プラモの石垣の塗装について私の手法をご紹介します。
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 写真は前回ご紹介した土台の改造部分に、グンゼの溶きパテ白(500)とフラットベース(ラフ)、さらにタンなどの薄茶系の塗料を混ぜてドロドロの石垣ベースを作りました。それをツヤ消し黒で塗装した石垣表面にのせていき、石垣の基本色とします。これが完全に乾燥する前に石垣をケガいていきます。(乾燥してからでもいいですけど、削ってめくれ上がった線の両側部分は後に粗目の紙ヤスリで軽くあてて削り、石垣塗装表面全体をザラザラにするのがいいでしょう) %e7%9f%b3%e5%9e%a3%e5%a1%97%e8%a3%85%e6%b3%95002

 メーカーさんには悪いですが、もともとの石垣のモールド線は、まったく無視して、実物の写真などを参考に、深く細くケガいていくという感じです。広島城の腰曲輪の石垣については、だいたいの印象でケガいています。
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  一応石垣がケガキ終わったら、本物の写真を用意して写真の石垣色を参考に調色します。この写真二の丸は、平成6年に復元されたものなので石垣も新しい状態です。写真で見る限り天守周辺の石垣はかなり古びたものとはなっていますが、完成からそれほどたっていない頃を再現したいので、この新しい石垣の色でいきます。

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 番号を振っていますが、1、2と6はお城プラモ駿府城で使っていた石垣色です。この写真の色の特徴を見てみると西日本のお城によくあるタン系、茶系の色の石があざやかです。色見本の3は、タンとセールカラーを1対1で作った色です。4はその色にダークアースを混ぜて作っています。難しいのは実物写真で白く見える石ですが、そのままだと、塗装したとき、どうしても浮いてしまうので、ややグレーを混ぜたりしています。

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 また、それぞれの色にはフラットベース(ラフ)も多量に混ぜていて、塗ったあとに半ツヤなどにならないようにしています。(フラットクリアーを後に吹けばいいと思われるかもしれませんが、光の当てる角度によっては独特の半ツヤが出るのでおすすめしません。)

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 広島城の石垣はこの組み合わせで塗装したわけですが、お城ごとに石垣の積み方、色合いは異なりますので、よくよく観察して塗装するべきでしょう。この広島城では石垣の石ひとつひとつを飛ばし飛ばし塗っていきました。また、ひとつの石はよく見てみると、ベタ1色ではなく、表面のでこぼこ具合などによって異なる色合いになっているのがわかるはずです。そのため、作った色を薄めて変化をつけながら塗装しています。

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 手間はかかりますが、石垣の存在感が出てきます。博物館などに展示してある城郭模型で、石垣を塗り分けているのは少ないので、お城プラモ完成品が模型として勝ることができる大きなポイントだと思っています。(どこそこのお城の展示城郭模型より自分の作品のほうが精密だというのは気分いいですよ。おそらくは・・・)

広島城プラモ制作記(お城プラモを城郭模型とするには)

 今回からは、童友社のDX広島城の制作記事とします。旧ブログ記事が平成25年4月28日から始まっています。このキットは、童友社DX版お城プラモとして久しぶりの新作(安土城がその前だったと記憶していますが、一体何年前だったでしょうか?)です。駿府城の次に飛騨高山城に挑戦するつもりでしたから、お城プラモを始めようとする人向けに、キットに手を入れず、ほどほどのディティールアップと塗装のみで2,3カ月で仕上げようと思っていたのでした。
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      事前にそろえていた広島城に関する資料は、学研の「歴史群像」名城シリーズの広島城(このシリーズはお城ファン必携ですよね。野上隼夫氏の広島城イラストなども最高です。もちろん現在では中古でしか入手できません。)、また、姫路市立城郭研究室の大修理工事図面にある「ほかの城」に広島城の図面が収録されているのです。さらに、広島城ホームページの「しろうや!広島城」という広報誌も参考になりました。
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       制作に入る前に土台改造箇所をチェックしておきます。まずはベースとなる水堀部分を拡張する必要がありました。このためにキットを2つ購入しています。写真では水色の部分になります。その上に腰曲輪(ベージュ色)を加えます。さらに東小天守台に続く多聞櫓が建つ右の石塁の幅を拡張し、左下南小天守台に続く石塁も幅を広げています。また、御殿が建っている本丸地表面をフラットにするため、ふくらみ箇所を削って、エキシポパテで埋めます。
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     写真は、既に水堀部分を追加したものになっています。キットでは天守北側の部分は、水面がありませんから白いプラ板で水面部分を追加しています。つないだところは、ラッカーパテでならしています。天守台を切り取った腰曲輪部分をこの上にのせるわけです。
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     天守台などの石垣塗装を開始していますが、キットでは堀の水面に波をモールドしてありまして、これが少々おおげさなので、削って追加した堀水面と均一にするのにけっこう骨がおれました。
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      土台を内側から見たものです。手前のグレーのパテ部分は、おそらく草地のつもりでふくらみをつけたモールドを削ったところです。右側の石塁も石垣面を付けています。

 お城プラモでは完成品の東京マルイの姫路城がかなり正確な姿を持っているようです。けど、制作するキットでなく、手をいれるには、分解する必要があります。ちなみに旧ブログでリンクを張らせていただいていた「お城のプラモデル作ってますぅ」のきわみのさんが既にやっておられます。(すごいですよね)%e5%a4%a9%e6%98%8e%e5%85%83%e5%b9%b4%e5%a4%8f%e5%ba%83%e5%b3%b6%e5%9f%8e05

 

 お城プラモを新発売する際には、いろいろ事情はあるのでしょうが、こだわってほしいですよねえ、メーカーにお城好きの方がいればなんとかなると思うんですよ・・・それとも、ちゃんとした城郭研究者の方に監修してもらうとか、どうかお城ファンが納得するキットを出してくださいますようお願いいたします。

駿府城復元記(富士山と駿府城天守は最高の組み合わせだが)

 駿府城復元記の続きです。前回広島城作成記事をはじめると書きましたが、あと1回だけ駿府城の記事にします。もう旧ブログも消えてしまいます。グーグル画像検索でけっこう上位にヒットするのが張り合いになっていたのも事実でして、旧ブログが廃止されるとあっという間に消えていくのだろうと思うと少し切ない気分になります。
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 一枚目は、既出ですが、プラモの土台を入れたオリジナルものです。情景写真とする際には、土台などはできる限りカットしてしまいますが、案外プラモに見える方が好まれるようです。

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 次の写真はグーグルアースの駿府城公園の画像を使って、お城プラモを重ねてみたものです。復元されたらこんな感じになるのではないかということです。お城プラモの写真は、プラモ作成よりも力が入ってしまいます。それは、お城プラモの写真は、1/350で小さいけれど「お城の模型」自体がそこにあるので、CGなんかより写真としての「存在感」があるのではないかと信じているからです。

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 お仕事としてお城CGを作成されている方々の悪口になってもいけないのですが、失われたお城の画像を出すのであれば、「おお、こんなのが本当に建っていたんだ」と感じさせるのが大事で、「まさにCGですねえ」というのでは、いけないような気もするのです。実際に存在するかのようなCGならばそれでいいのですが、そうでなければ、むしろ手書きで緻密に描かれたカラーイラストのほうが私は好きなのです。(まさに個人的好みの問題ですけど)

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 かくかくの側面写真で写真自体としては良いできではありません。こんなのも珍しいでしょうから・・・

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 背景が空でなく、地続きで表現されていればこの写真もいいものになっていたかもしれませんが、橋の写真です。天守台の大きさが分るには良いかもしれません。

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 駿府城と富士山が並んでいる情景は、おそらく駿府城天守が存在した江戸時代初期でも最高の組み合わせだったろうかと思います。一番たくさん試して撮影したのは、この画題だったですけど、満足がいくものが今だに撮れていないのです。この写真も角度的に天守を見上げていますが、この角度で富士山は見えないでしょう。いつかこのお城プラモを使って良いものを作成したいです。

駿府城復元記(天守の姿を確定させるのは難しい)

     駿府城復元記の続きです。今回はいよいよ天守作成について書いてみます。私のお城プラモ作成は、壁面などはプラ板から作っていますが、屋根については市販お城プラモデルキットの部品を加工しています。目標とさせていただいている城王(JoO)の部屋の城王(http://members2.jcom.home.ne.jp/taka5/)さんや旧ブログではいろいろアドバイスをいただいた桔梗閣(http://balloonflower.hannnari.com/index.htm)さんは、屋根自体も丸瓦から自作されていて、いつか自分もと思ってはおりますが、駿府城作成の段階では、まだその境地に至っていなかったところです。

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  一体どんな天守であったのか、旧ブログでも一応の考察をいたしましたので、その再録となります。駿府城天守について記述されている史料は、当代記、慶長見聞録、慶長日記、増補慶長日記、武徳編年集成などがあるらしいのですが、少しづつ内容が異なっています。当代記と慶長日記をイラストにしてみますと以上のとおりです。それぞれの記述は各層の間数などはほぼ一致しており、七重の天守であることは一致しています。ただ、屋根の形状では破風の記載はあるもの、例えば比翼千鳥破風などとの細かい記載はありません。

  3つ目の天守イラストは、文書ではなく日光東照宮縁起絵巻の天守でして、七重目屋根には大きな唐破風があり、五重目に欄干が描かれています。絵巻では下から一重目から四重目までは描かれていませんが、遠望したときの外見的特徴(下見板張り、真壁造り)を捉えているものと考えています。

  他の駿府城の絵図、天守焼失後にもかかわらず東海道図屏風など描かれているものはあります。これも下見板張りらしく描かれており、最上階平側は柱4本で3間、妻側は2間となっていますが、いずれも正確に描いてはいないでしょう。また、天守六重目には向唐破風が妻側、平側の両方にあります。そして、三重の小天守も描かれており同じく下見板張りで、真壁造りであることも確認できるもので、天守と距離が少しあるように描かれています。画像は禁転載とあるので東海道図屏風リンクでごらんください。

  ここの解説にもあるように、現実に建っていた駿府城天守を描いたのではなく、なんらかの史料や口伝などから再現したのでしょうから、江戸時代においても駿府城天守は憧憬を抱かせる「御天守」だったと言えます。まずは外見が下見板張り、真壁造りであることの論拠にはなりそうですが、当時どんな根拠をもってこの絵を描いたのでしょうか・・・知りたいです。この絵の他の駿府城の絵は、ひょっとするとこの東海道図屏風を見て、真似て描いたか、それとも絵師たちのいわゆるお約束である粉本(ふんぽん:画家の技術を一定に保つため作られた摸写用の本)に従った天守像が描かれたと考えています。(一度粉本のお城の絵を見てみたいものです・・・)

  ところで、第一期駿府城の築城風景を描いたとされる名古屋市博物館所蔵の「築城図屏風」ですが、私はあったとされる幻の天守を含めた金沢城の築城風景であろうと思っています。天守一重目に描かれている唐破風出窓、本丸門の右側に描かれている大きな鏡石なども家康公の「お好み」ではないような気がします。下見板張りですが後に海鼠壁に変更されたと考えれば、金沢城の仕様に見えてくるのです。

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駿府城天守の制作ですが、実際は天守丸多聞櫓などと同時に作り上げています。それは、天守南東櫓と通路で接続されているためで、写真は一重目を天守台に入れてみて、その接続通路が合うよう調整しているものです。北東側に広間を作っていますが、天守の中にこんな柱のない広間は無理でしょう。二重目を乗せる段階で柱を入れました。

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二重目は舞良戸で閉じた状態、慶長日記の記述にある「四方縁あり」となっており、ここに前々回に紹介した7尺間(1間が7尺)の欄干を付けました。三重目にも「各四面に欄干あり」とあるのに従って、熊本城天守最上階の仕様を参考にしています。一重目にも二重目にも腰屋根はありませんが、当代記にも慶長日記にも記述がないためです。

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六重目まで組み上げた写真です一重目中央の向唐破風の出窓のような建物は、ちょうど天守台のこの位置に井戸があるので、それを囲むものです。天守の出入り口は左側に接続している橋でして、この上に通路となる二重櫓があるという想定です。

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七重目まで組み上げた写真です。最上部の屋根と六重目の妻側に大きな唐破風を取り付けています。これは童友社江戸城の四重目の唐破風を使っています。少し分厚い感じですが、自分で作る技術がないので仕方ありません。各重の屋根の色は、それぞれの素材の色にしています。最上階の屋根は、銅板張瓦ですから銅色で、やがて緑青のさびが出ますが、新築時は輝いていたでしょうね。(緑青色を塗るときは下地にこの銅色をいつも塗っています。)それぞれのには千鳥破風などを追加せねばなりません。

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五重目屋根に千鳥破風を加えています。この屋根は童友社姫路城のパーツの切り貼りで、既に比翼千鳥破風(千鳥破風が二つ並ぶもの)にしてありますが、妻側に千鳥破風を付ける作業です。姫路城キットの櫓の入母屋屋根を角度を合せて斜めにカットし、三角にカットした妻側に取り付けます。このとき、切った双方がどれだけ隙間なくピッタリ合うかどうかが仕上がりに影響します。隙間は後ほどプラパテで埋めるのですが、一番神経を使うところです。
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四重目屋根から六重目屋根は白ろう(錫か錫と鉛の合金)張の瓦なので、白っぽい銀色にして、一応天守は完成しています。その他、番所、橋、庭園と作成して全体の完成にもっていきました。2011/5/5-2013/2/24、1年10カ月かかってしまいましたが、達成感は非常に大きなものがあります。もちろん手元にありますので、たまに細かいところを眺めては悦に入ってます。すこしはしょりましたが、次回からは広島城プラモデル作成記事のまとめをはじめます。%e9%a7%bf%e5%ba%9c%e5%9f%8e%e5%ba%ad%e5%9c%92

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駿府城復元記(小天守台には多聞櫓が建っていた)

    駿府城復元記の続きです。早いもので、今年もあと2カ月余りとなったところです。旧ブログはあと3か月となり、旧ブログへの記事にもここへきてもらうようリンクも数箇所張ってみましたが、なかなかここの閲覧数は延びないようです。少し急いで旧記事のまとめをしなければ、旧ブログが閉鎖するまでに過去記事のポイントがまとめられなくなってしまいます。(ちょっとあせっています。)
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    そんなところで、今回は駿府城模型の「小天守台」(しつこいようですが、ここには小天守は無かったと思っているので、仮にそう呼んでおきます。)の櫓の組み上げと、土塀制作の紹介をしておきます。1枚目の写真は、土塀に控柱をつけているところです。童友社のお城プラモでは省略されてはおりますが、風などに耐えれるよう大抵の土塀にはつっかえ棒の役割となる控柱が取り付けてあります。これを再現しておくとお城プラモ的にはディティールアップでより精密感があがるというものです。土塀の屋根パーツは童友社デラックス名古屋城のものでして、軒下から棟までが高すぎ、角度も急すぎるため、精度はあまりよくありません。軒先の下半分を漆喰色で塗装していますが、土塀の軒も漆喰で塗られている仕様としたためです。ただし垂木は再現していません。また塀の部分は0.5ミリプラ板で、矢狭間、鉄砲狭間を開けて表側は漆喰ぬりこめ、裏側は下見板張りとしています。
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     次の写真は「小天守台」に土塀を取り付けたところです。天守丸への石段の下には埋門を付けています。漆喰部分を作ってしまいましたが、ここは鉄板を張ったものだったでしょうね。
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     次の写真は、「小天守台」の多聞櫓の壁を組み上げたものです。左側の多門櫓は掛け造りとしています。(根拠は薄く、前々回に紹介した大日本報徳社蔵「駿州府中御城図」での天守丸多聞櫓の幅と整合をとると掛け造りにするしかなかったのです。)また、右にみえる天守丸への石段の下の門は、埋門としたので、その上は土塀とならず、防御のための細い多聞櫓であろうとしました。(これは想像となります。考証が大事などとエラソーに書いておりますが、どうしても想像や他の城の事例で補うしかないところもあるのです。)それぞれの多聞櫓には通路に向かって出格子(壁に付いているこげ茶と細い瓦部分)が設けてある想定です。
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     それぞれの多聞櫓に屋根をとりつけて、小天守台の完成となります。土塀のある石塁に行くために櫓に小さな出入口も設けました。(まあ、辻褄あわせですな。)
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     高麗門もこの模型では多用しておりまして、名古屋城に残る土塀より屋根が低い仕様の高麗門よりも、時代的には後の仕様のものとなっていますが、そこはご勘弁をいただきます。今回はここまでです。%e9%a7%bf%e5%ba%9c%e5%9f%8e%e5%a4%a9%e5%ae%88%e5%8d%97%e6%9d%b1%e3%82%88%e3%82%8a

駿府城復元記(櫓の作り方について)

 駿府城復元記の続きです。旧ブログと違い、滞っていたところに触れていないので、なにかサクサクと築城しているかのようにみえますが、屋根パーツ以外はプラ板からの制作ですからいろいろ苦労はしています。それらの難所ポイントなども紹介してみたいところですが、レジンキャストの屋根とか壁面づくりとか必死に作業しているので当時「写真」を残す余裕がなかったのです。

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 旧ブログでは、集合写真で紹介していましたが、できるかぎり作り方が分るよう説明してみます。1枚目の写真は、作成中の天守丸北東櫓を内側から見たものです。故内藤先生の駿府城天守は、天守丸多聞櫓の内側は御殿仕様とされており、私もこれに倣っています。この櫓は掛け造の三重とし、二重目には欄干を付け三重目の窓を華頭窓としています。写真左側に続く多聞櫓の内側も掛け造で舞良戸と欄干の組み合わせとしています。
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 2枚目は、壁面を作成しているところで、0.5ミリプラ板で上部、窓の高さの部分、下部と3段になっているのです。窓の部分をくり抜くという方法もありますが、シャープな窓枠に切り抜くのは難しいでしょう。ピンセットでつまんでいるのは格子で、三浦正幸先生の「城の作り方図典」によれば、窓の半分が半間で3本が標準とされています。お城プラモ広島城の御殿では、石屋模型店さんの「汎用格子セット」を使いましたが、駿府城作成時は100円ショップで買ったナイロンブラシの毛を使っていました。(なので緑色です。)
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   3枚目は、北面と西面の欄干(6.5尺間の欄干)の取り付け後の画像、画面中央は、7尺間の欄干(天守用)を作る冶具で、0.3×0.5ミリプラ棒をここに合わせて欄干を作るようにしています。
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    次の写真は、南西櫓でして、故内藤先生の図面では南北棟の長方形の櫓で、他の復元模型もそうなっていますが、私は前回紹介した東照宮縁起絵巻天守像の南西櫓の棟に合わせるため、現駿府城にある巽櫓のように「く」の字になった櫓と解釈し、そのように作っています。また、大日本報徳社蔵「駿州府中御城図」では確認できませんが、喰い違い虎口の石塁に多聞櫓をのせています。問題は、この南西櫓の1階から石段がこの石塁まで接続していて、どうもしっくりこないところです。 今回はここまでといたします。
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