駿府城の写真

今日は、1日かけて駿府城と富士山の写真を作成しようといろいろと試していたのですが、難しいです。明るさはなんとかなったのですが、今度は駿府城自体へのピントが甘くなってしまっています。この写真だけで今回はお許しを・・・5時間ぐらいかけたのでした。

彦根城プラモ天守の設計など

 仕事が混んでしまって、ブログ記事を1週間とばしてしまいました。どうもすみませんでした。今回は、彦根城プラモをPanasonicDMC-LX9で撮ったので紹介させていただきます。(え?「彦根城プラモなんか特にみたくない」ですって・・・まあまあ、このカメラに慣れるためのトレーニングみたいなものでして、ご勘弁を)ちなみに、撮影した映像はいろいろ加工処理も加えているので、このカメラを使えば写真が必ずこうなる訳ではないのでお間違えなきよう。

 このキットについては、あまりに実物と離れすぎているので「ツッコミ」を入れいるモチベーションが高まらないところです。そもそも各階平面が違いすぎているので「彦根城を名乗る若しくはイメージしたお城プラモ」ってとこでしょうか。前回再建岡山城天守でも触れたように、お城プラモも設計段階で、もう少し細かいところでこだわっていれば、こんな「残念な天守」にはならなかったのにという思いがつのるのでした。

 お城に対する敬意、憧れ、こだわりを持つ設計担当者がおられたのだったら、私たちは今とかなり異なる状況を目にしていると思うのです。なにをえらそうにと叱られそうですが、古い世代のプラモデラーの方であれば、昔の模型屋にプラ模型の帝王のように鎮座していたニチモ1/200戦艦大和(大きな店だと組み上げられた完成品がショーケースに飾ってありましたね。)を覚えておられるでしょう。

 あれこそ、後にグラフィックデザイナーとしてニチモから独立し「軍艦メカニズム図鑑」やタミヤの「軍艦雑記帳」を書かれていた故森恒英氏が設計したものです。(wikiによる)

 この方の書いたイラストは、興味のない対象物(例えば弾薬箱)でも魅せられてしまうと言えばいいのでしょうか素晴らしいです。故森恒英氏が軍艦に持っておられたこだわりをお城に対して少しでも持つような方が、メーカーにおられればなあと思うのは、ないものねだりなんでしょうねえ。

 これからは、3Dスキャナーや3Dキャドが、もうありますから実物や建築図面などがあれば、完全縮尺のお城プラモもキット化されるかも知れません。石垣だって3Dで撮影して、写真の3Dフルカラーをテクスチャープリントすれば、もう色味で悩む必要もなくなるでしょう。

 世の中は産業革命のようなものすごい変化が起こっているようですが、お城プラモもその恩恵に預かれればなと思います。(ただし、3Dプリンタは私も関心がありますが、現段階では1/350お城プラモに使える精度ではないです。)とりとめない話になりました。今回はこれにて・・・

岡山城訪問記(再編集)

 旧ブログでは、近辺のお城の訪問記も載せておりましたので、少しずつ再録してみることにします。ただし、そのままではぜんぜんおもしろくないので、訪問以後いろいろと考えたことなども含めて記事にしていきます。

 岡山城は昨年5月のきもちのいい季節にバイクで訪問しました。自宅から往復520キロほとんど高速道路の長距離移動です。それでもウキウキと楽しい旅でした。岡山城天守の魅力は、安土城に倣ったともいわれますが、なんといっても不等辺の土台に、非対称 の建物を建てていることでしょう。不等辺天守台にあわせて、天守があげられていてその美的感覚は日本人独自のものかも知れません。とても好きな天守です。

 ただ、現在の復元天守は、戦前の天守と比べて外見相違点が多いのです。それは「学研の歴史群像シリーズ岡山城」で広島大学の三浦正幸先生も指摘されていて、窓など全部ちがっているといっても過言ではないとまで書いておられます。一度、お城プラモでの比較と同じように見てみます。

 次の写真は、現行天守と旧天守の写真を並べたものです。少し撮影角度は異なりますが、仔細に比較してみますと、まず各重の入母屋破風の形状、高さが異なることが分ると思います。旧天守のほうが、屋根の曲線(そり)がより深く、妻壁は、仁科章夫氏実測図面にはありませんが、以前の記事で紹介した姫路城天守の入母屋破風のように「オーバーハング」があるように見えます。三浦先生が指摘しておられる各壁面の窓、漆喰部分と下見板部分(下見板張りの押し縁の幅も旧天守はもっと細かいようです。)との比率も異なるのですが、「似てないなあ」と感じるのは、この屋根の形状が大きく異なるのが最大の原因であると言えるでしょう。

 旧ブログでは自分の撮影した現行天守像を写真コラージュで改造して掲載していましたが、あれは屋根はあまり改造していなかったので、今回もう少し図面などとも比べながら作成してみました。ちなみに現行天守最上階には華頭窓はありませんが、旧天守は、豊臣時代の天守最上階パターンで3間×3間の華頭窓付きとなっています。(現行天守が耐震改修とか大改修するときには是非とも屋根を改造してほしいものです。)

 

東京マルイ姫路城を見てみる(その4)櫓は引き立て役か?

 購入した東京マルイ姫路城についての記事の続きです。お城プラモを持っている楽しみは、実物の写真などにはないようないろいろな角度から眺めることでしょうか。実在の天守などは、周辺の木々の位置などから、撮影ポイントがだいたい固定されてしまいます。姫路城であれば三国堀から天守を望むものがオーソドックスなものとなっているところです。天守北側は原生林で切れ込んでもいるため、北側から天守を望む写真はとても少ないです。(遠望しているものならあるようですけどねえ)お城プラモならそれを自由に自分の好きな位置から見ることができるです。

 さて、いじわるですが、東京マルイ姫路城の「もうすこし何とかしてほしかった」ポイントの指摘をしていきましょう。天守西側乾小天守下の「水の二門」です。二の櫓(くの字の建物)の天守側の屋根が実物は「入母屋屋根」ですが、プラモのほうは「切妻屋根」でここは違いますねえ。(たぶんグーグルアースでは確認できないからでしょう。)
 次は、見学通路にもなっている「ろの櫓」の形状です。(窓とか再現してほしいところですけど、多くの櫓が「のっぺらぼう」となっています。)角に石落としがありますが、プラモには再現されていません。童友社の姫路城キットはさすがにこういった省略していません。東京マルイ姫路城の一部土塀は、塗装で狭間を表現していますが、櫓の窓についても最低塗装表現をしてほしかったところです。この点はこの製品の最大の弱点であると思います。

 次の写真は、「北腰曲輪」の比較です。さきほど触れたように、童友社の1/380姫路城の正面扱い、お城的には搦手になる方向で、ネットなどでも写真はなかなかありません。(この方向から撮ろうとするとドローン撮影しかないですが、禁止されているので絶対にだめですよ。)左の画像はグーグルアースの過去画像でポリゴンでの再現になっています。(現状画像は、天守修理の覆いがかかったもので更新されていないです。)「北腰曲輪」の「ホの櫓」(二階建)の屋根の位置が異なりますが、図面で確認するとグーグルのポリゴンが間違っており、東京マルイの位置で正解です。

 グーグルアースの画像は、現在作成している徳川大坂城の図面づくりに多用していますが、衛星からのものですから、どうしても歪がでてしまったりするので、全面的に信用することはできません。特にポリゴンは写真でなく誰かが作製しているので間違いもあるところです。

 東京マルイ姫路城北腰曲輪もう少し詳しくみてみると、ホの櫓の1階部分の唐破風もあり再現しようとしてあるのですが、屋根の最上部までの高さを図面との照合すると壁面の高さが足りないのです。模型の高さ(北腰曲輪地表面から)は約27㎜となっていますが、姫路市立城郭研究室の断面図には、35.26尺とあり、約10.7mで1/350では約30㎜となり、本物に比べて模型は低いです。2階部分の壁面の高さ足りないものと思われます。

 お城プラモ的には、あくまで天守が主人公で、周辺の櫓などは「引き立て役」ってことでしょうが、この北腰曲輪は、曲面で構成され、ホの櫓に繋がる多聞櫓の屋根の高さも異なるようで、建築物としての造形はとてもユニークで魅力のあるものです。私としてはこだわって欲しかったですね。城郭模型を眺める楽しみは、いろんな角度から眺めて、こんな建築物だったのかと驚かされるところにもありますから・・・

慶長度江戸城の新発見史料について

 今回は、先日、NHKや新聞記事でも紹介された慶長度江戸城の新発見史料について記事にしてみることにします。発見されたのは松江歴史館所蔵の「極秘諸国城図」にあった「江戸始図」という絵図とのことです。徳川の江戸城には天守が3つあって、家康公の慶長度天守、二代将軍秀忠の元和度天守、三代将軍家光の寛永度天守で、現在の天守台は最後の寛永度のもの(ただし、積みなおして高さが低くなっている。)と言われています。
ちなみに、童友社江戸城プラモは、寛永度江戸城のものです。

 元和度天守については天守台の位置が明確ではなく、特に慶長度については指図らしきものは見つかっておらず、外見、規模、縄張りを含め、幻の天守となっているのです。それが、この「江戸始図」に縄張りが明記されており、大発見となったところです。

(下図は、松江市報道発表「松江歴史館所蔵「江戸始図」の学術的意義の概要 (奈良大学の千田嘉博教授の報告より) 」3ページ掲載図より引用)

 しかし、昨年発見された真田丸の絵図もこの松江歴史館所蔵「極秘諸国城図」という史料からでしたから、まだまだ未発見の史料というのが存在することに驚いてしまいますよね。(そう言えば、前々回記事で取り上げたNHKBSのザ・プレミアム「二条城~戦国から太平へ~」で、新発見の江戸城天守図面、聚楽第の図面も出てましたっけ)いずれにせよ、新資料の発見は嬉しいことではあります。

(下図は上記と同様松江市報道発表5ページより引用)

 ところで、この「江戸始図」を見てると、以前の記事駿府城復元記でとりあげた大日本報徳社蔵「駿州府中御城図」と類似しているような気がします。お城の防御にかかわる部分を黒の塗りつぶしで表現するところとか、千田先生が指摘されている本丸南の5連続桝形の最後の石塁につながる石段など、駿府城天守東側の石段と同じ形式だったのではと思ったところです。
 
 前の真田丸史料があって、少し遅れて慶長江戸城の史料発見って、少しずつ出てきてますけど、ひょっとして、この「極秘諸国城図」の中に、安土城とか豊臣大坂城とか聚楽第、駿府城の新史料が入ってるなんてことはないんでしょうかねえ・・・発表時期を待っているとか、わくわくしますよね。

 ついつい私も喜んでしまって、GoogleEarthの江戸城本丸画面にに駿府城プラモの写真を追加して図面の一部を再現してしまいました。(やっつけ加工でアップに耐えれるものではなく、全体までは張り付けていません。あしからず)

松江市の報道発表記事:

http://www1.city.matsue.shimane.jp/shisei/kouhou/kisha/2017/0208.data/gaiyou.pdf

旧ブログが消えてしまって少し寂しいです

 今回は、消えてしまった旧ブログで掲載し、Google画像検索(「お城プラモ」検索)で、まあまあ上位をとっていた写真をあげておきましょう。現状で検索結果に出てくることは出てくるのですが、blog.zaq.ne.jpの分はすべて画像表示できず、終了のお知らせが出てくるのみです。
 しまった!一体旧ブログでどれだけの記事を書いていたのかとか確認しておけばよかった・・・すでに遅しでありました。駿府城をつくっていて、たくさん見ていただいた頃は、1日平均130pv程度、昨年は50pvを割ってしまいました、お城プラモ作れてないからねえ。 写真は、広島城プラモの完成時のものですが、まだフィギュアや御殿屋根に天水桶などを追加していないときのものです。手前の木々には焦点があわずちょっとピンボケです。もう電池が死んでしまって使えなくなったpentax I-10で撮ったもので、発色などは気に入っていました。
 次の写真は、PanasonicDMC-G10で撮ったものでして、彦根城プラモです。キットに付属している櫓などは作っていません。現状の姿のつもりで作成したものです。桜が咲いていて、ほかの木々が緑というのは、あまりにデタラメでして、お恥ずかしいところです。中央石垣下の木の柵とかなどは実際にあるものです。多聞櫓の出入口なども再現しているつもりですが、本物の多門櫓は、写真中央の石垣の折れ曲がったところぐらいまで来る長さがあります。実物とはいろいろと異なるところが多いお城プラモではあります。
 ただ、写真の撮りようによっては、それっぽくみえるようにも出来るようで、光の当たり方などはなんとか屋外の雰囲気は出せたようです。ただし、鳥衾も再現していないし、下から見上げているので屋根裏のスカスカ感が実物感というか精密感を損ねています。
 次のものは、江戸城プラモのものです。これも、pentaxI-10での撮影で発色は気に入っています。

 これも江戸城ですが、確かiphone3Gで撮っていて、壁面が黒つぶれしてしまっています。旧ブログの最初の記事にあげたものでした。

 はやく徳川大坂城を完成させて、いろいろな方向から写真を撮ってみたいところです。

江戸城プラモデル写真の加工

  今回は、江戸城プラモデルの写真を紹介することとします。幻のお城の姿は、香川元太郎氏などの著名なイラストレーターによる再現、CGでの再現、もちろん模型による再現もあるところです。
 上の写真はパナLX9で撮影した江戸城プラモでして、もちろん俯瞰で眺めるのが好きな方もいらっしゃるでしょうが、私の場合どんな姿で佇んでいたのか、その場での情景を見てみたいということに尽きると思っています。先日NHKBSで放送されたザ・プレミアム「二条城~戦国から太平へ~」で二条城天守(千田嘉博先生によると豊臣秀長の大和郡山城天守の曳家!)がCG復元されていました。ご覧になった方はお分かりになったと思いますが、このNHKのCGは空気の霞み具合もよく計算されていて、実際の風景に合成して、こんな感じに見えただろうなと納得させてくれるものとなっています。

 「うーんこりゃいい」それに触発されてしまいまして、上記の写真を本格的に加工して、CGのようにはできないのかと試みてみたのです。いわば、お城プラモCG、それが下の写真です。江戸城本丸を西側の吹上側から見たものとなっています。画面左から北桔橋とその枡形門、巨大な乾二重櫓、その背後に見えるのは五十三間二重櫓、そして天守、右端の三重櫓は菱櫓となっています。結局、情景に見せるためには、「霞み」がポイントであるなあと分かったのでした。
 ちなみに、旧ブログでたくさん上げていたお城プラモ写真は、NAVERまとめ記事やブログなどに使ってくれたりして、実は作者としては嬉しいのです。これも、フリーとしますので、当方への連絡も不要、どんどん使っていただいてけっこうです。(消してもいいけど、城男のネームを残しといてくれたら大歓迎です。)

東京マルイ姫路城を見てみる(その3) 屋根瓦の間隔

 前回に引き続き東京マルイ姫路城の再現度の検証を記事といたします。お城プラモをできる限り本物に(幻のお城ではかなわないことですが)忠実に再現したいと思ってつくってきましたが、あまり触れてこなかった重要な構成要素が、「屋根及び瓦」でして、ひとつには細かすぎて自作に自信がないというのもあって、正確なのかどうかに目をつぶってきた訳です。姫路城プラモとの一門

  旧ブログでは童友社1/350の屋根のピッチは1㎜が多いと書き込んでいましたが、東京マルイ姫路城の屋根瓦を調べるついでに、いろいろ測ってみようと思いました。小天守屋根比較

 まず、左の写真の手に取っているのは童友社1/350松本城の乾小天守の屋根です。姫路城東小天守の屋根と同サイズのようで比較にいいでしょう。古い童友社キットの屋根は入母屋軒の掛け瓦が長くバランスはあまり良くありません。降り棟から直接出ていると解釈したのが間違いの元だったのでしょう。真ん中の写真は、その乾天守の屋根の丸瓦の幅が何ミリの間隔(ピッチ)になっているのかを測ったものです。10本で12ミリですから、1.2ミリピッチとなります。右の写真は東京マルイ姫路城の屋根のピッチを測ったものです。10本で9ミリで、0.9ミリピッチです。(期待できますねえ、ちゃんと本物にあわせているのか?)西小天守模型

 写真(次の写真を含む)右の図面は、前回も引用した学研歴史群像名城シリーズ姫路城116,117ページ「姫路城保存修理工事報告書所収」の東面南面立面図の西小天守です。左写真が東京マルイ姫路城西小天守南面で、三重目屋根の降り棟の間の丸瓦が何本あるか数えてみますと、両方とも14本で正確です。(こんなのが私は嬉しいのです。ひゃっほー正しく作ってる!って)姫路城対照

 東京マルイ姫路城の屋根瓦は西小天守の図面比較して正確との結論としておけばよかったのですが、大天守も比較してしまったのでした。前回も少し触れました大入母屋屋根の棟の長さ以外にも大天守の屋根には相違点もあります。
 写真に記載しているように図面と比較すると四重目屋根の千鳥破風壁面下と三重目比翼入母屋屋根壁面下の屋根の入り込みが足りないこと、五重目屋根の降り棟の長さがやや長いことなどです。
 問題は、丸瓦の本数でして、五重目中央の降り棟と両側の降り棟の間にそれぞれ16本あります。右の図面を数えてみますと、17本あります。(ピッチが正確じゃなかったのか?)がっかりしかけましたが、よくよく図面と比べますと大棟の長さが東京マルイ姫路城のほうが短いように見えます。1ピッチ分両方に延長(改造でいえば一旦カットして間にはさむ)すれば正確な姿になるかも知れません。(改造可能となると私はなぜか納得してしまうのでした。ただし、大入母屋屋根延長は改造法が思い浮かびません。)キット瓦ピッチ比較

 今回のおまけは、童友社広島城、同1/350江戸城、同1/350大阪城の屋根の瓦ピッチがわかる写真です。左の写真は、広島城完成品の天守大屋根です。0.98ミリぐらいかな・・・降り棟間には17本あります。ええっと本物図面を数えるとげげっ19本(ううう・・数えるんじゃなかった・・・orz)、中央は江戸城の天守大屋根でして、1ミリピッチぐらい(本物の図面は存在しないからなあ、これでもいいわなあ)、右の写真は大阪城だけど、0.8ミリピッチ!(もう図面と比較する気なしになっています。)お城の屋根瓦のピッチというのは、平瓦のサイズもいろいろあるようで、均一ではないようですが、なにをもって、その幅を決めたんでしょうか、また調べておくこととします。
 今回は、広島城プラモ屋根が再現されていないのが判明して、かなり気落ちする記事となってしまいました。実物写真を仔細に見ればわかるもので、どこかお城プラモ=おもちゃの延長と思われているのでしょうか、1/350お城プラモに正確さを求めるのが間違っているのかなあという気分です。寛永度江戸城プラモデル

    最後の写真は、PanasonicDMC-LX9での撮影した江戸城プラモです。この写真が撮れたので少し気分は晴れたところです。

東京マルイ姫路城を見てみる(その2)

    今回の記事も、東京マルイ姫路城についてです。このブログを以前からご覧になっている方はおわかりでしょうが、当ブログは、お城プラモデルキットに対して、縮尺、天守及び周辺の形状、石垣のモールドなど非常カラい見方をとっています。お城は日本建築の華であり、西欧建築などと比べても遜色なく、日本人が誇りを持って後世に伝えていくべき日本固有の文化遺産です。その城の名をつけて販売するのですから、海外に紹介しても恥ずかしくないレベルのものにしてほしいと思うところです。
南東からの姫路城
 おいおい、そんなに大上段にかまえずとも単なるプラモじゃないかとも思うのですが、お城ファンであることのほうが、プラモデラーの部分を凌駕してしまっているので、お城プラモキットを実物との違いを残したまま完成させるのが楽しめなくなっているのです。(それはそれでめんどくさいことではあります。)おかんにより廃城

     これでも、小中高と飛行機プラモの合間に、お城プラモもたくさん作りました。覚えている限りでは、スタンダードで小田原城(小学生の頃に買った時には豆球の照明ギミックがついていました。)、岐阜城、名古屋城、大阪城、デラックスでは、熊本城、大阪城、江戸城、安土城、ジョイジョイの松山城、和歌山城、フジミの小倉城も・・・改造なんてしてないですが当時も石垣塗装には凝っていました。(「見せてみろ」ってですか?当時のお城プラモ完成品はすべて、我が家にいたお城プラモ攻城戦の名手「大阪のおかん」の手にかかって落城廃棄処分されています。)
姫路城模型全体平面
 さて、本題にもどります、1/350東京マルイ姫路城ですが、まずは土台から見てみましょう。上から撮影したもので、この模型は西側の「はの門」、「三国堀」、北は「北腰曲輪」、東は「井郭櫓」、南は「備前丸」を含めて、見慣れた天守への登城コースを意識しているのかと考えられます。備前丸の南西直下にある「ぬの門」は省略されています。
模型の範囲
 図面は、学研歴史群像名城シリーズ姫路城16,17ページ松岡利郎氏作成姫路城縄張図です。小天守群を含む天守曲輪台の形状は矩形でないことが確認できると思います。北面は天守南面に対し、並行でなく約4度傾いています。東小天守の北東角が鋭角(約87度)乾小天守の北西角でわずかに鈍角になって、西小天守の南西角も鈍角にしてズレを吸収して大天守に接続していくと言ったらいいでしょうか。東京マルイ姫路城がここをどうするのか興味があったのですが、再現はしていません。(ちなみに童友社最新の1/500姫路城も矩形となっていて再現されていません。)

 もともと防衛上の意図かなにかでこういう形状になったのかというと、そうではなく当時の石垣構築技術が矩形の天守台にできず、出来上がったものに天守曲輪建物を合わせたというのが正解でしょう。
三国堀から
 東京マルイ姫路城の写真を撮っていて、三国堀から天守をみたときに少し低いと感じたので、地面の高さについても調べてみました。標高についてはweb国土地理院地図に表示されるようになっています。備前丸標高45.9m(場所によって少し差はでますが)、三国堀横28.4mその差17.5mで1/350にすると50㎜です。東京マルイ姫路城のほうを測ってみますと、29.5㎜となっていて約2センチ高さが足りません。まあ、縄張図などで石垣高を記したものはありますが、地表面高を記した図面はないので、ここを正確に再現するのは難しいのでしょう。図面というよりか地図の範疇ですから。
姫路城天守東面南面
 次の図面は、学研歴史群像名城シリーズ姫路城116,117ページ「姫路城保存修理工事報告書所収」の東面南面立面図です。四重目に達する二重目の巨大な入母屋造の屋根で姫路城大天守の外見的特徴となっているところですが、南面立面図でみると武士の正装である裃の肩衣のように棟が外側水平に張り出しているのが分ります。実物姫路城大天守の写真を改めてよく見てみると、どっしりと収まった感じではなく、見上げるものに覆いかぶさるような緊張感を与える効果を狙っているのかも知れません。(ここまで張り出しているのは姫路城ぐらいかもしれません。)
P1000485東面修正
 東京マルイ姫路城と比べてみると赤色の部分が異なるところです。私のクセで比較しているとすぐにどう改造するか考えてしまいますが、図面でみると入母屋屋根の瓦も上部が広く下部にいくに従って狭く葺いていますので、単にプラ板で拡張するだけでは済まず、難しいところです。スライド金型を使わない通常のプラモのパーツは縦にプレスして作成されるので、この「オーバーハング」が再現されないのは仕方ありません。(お城プラモがガンプラなみに売れればスライド金型でのパーツ造りもできるんだろうけどねえ・・・)今回はここまでです。

東京マルイ姫路城を見てみる(その1)

 みなさま、あけましておめでとうございます。本年もお城プラモ築城の道のりをどうぞよろしくおねがいいたします。

 お正月はひさしぶりに映画を見てきました。評判の高い新海誠監督の「君の名は。」です。(「おまえのようなオッサンでもみるのか?」って、そりゃ、そこまで広がった大ヒット作って事ですよね。)それぞれのシーンの描き込みは、その場の空気感までを捉えていて凄く美しかったです。もちろんストーリーもよくって、アニメのいいところは、「これはアニメだから」という理由で、見てるほうも「こんなのありえない」というツッコミを封じ込めることができることですよね。なのでとても感動し、楽しめました。
 
 ところで、この映画の後半で、主人公の一人の立花瀧(絵が上手で建築好きという設定)が「誰かを探している」という思いに、自分の部屋で机に突っ伏しているシーンがありました。そして、その背後の床に、3段積みの箱があって、その上にプラモ塗料ビンらしきものが2つか3つ置いていて箱絵がお城に見えたのです・・・「お!お城プラモ作ってる」と思わず、私は嬉しくなってしまったのでした。これから又は再度見ようとしているお城プラモファンの方は、一度チェックしてみてくださいませ。%e5%9f%8e%e7%94%b7%e5%a7%ab%e8%b7%af%e5%9f%8e%e3%81%ab%e5%96%9c%e3%81%b6

 今回の記事は、先月購入した東京マルイの姫路城(1/350)の写真を紹介してみようと思います。発表時は、1/350スケールの完成城郭シリーズ第一弾ということで、発表アナウンスでは、今後、大阪城、名古屋城、熊本城、松本城を発売予定という事で期待は高まりました。今後の展開は姫路城の売れ行き次第でしょうけど・・・

 お城の模型は欲しいけど、プラモは作ったことがない、若しくは面倒で作りたくないといった方が購入されるのでしょう。43cm×36.5㎝で飾っておくにはいいサイズです。メーカー希望小売価格¥34,800(税別)で、うーん悩みどころ・・でも、ネットオークションに出品されてるプラモ完成品の価格帯とも微妙にからむ感じで、この際、未完成お城プラモキットとの比較をするべきではないでしょう。(東京マルイさん!組立キットならこの価格でも、私は逆に喜んで買います。透明ケースも化粧箱も要らない、ビニール袋にダンボール詰め、設計図は完成品の部分写真のみの限定サービスキットを出してください!!) %e6%9d%b1%e4%ba%ac%e3%83%9e%e3%83%ab%e3%82%a4%e5%a7%ab%e8%b7%af%e5%9f%8e001

 今回の写真は、買ってもらったPanasonicDMC-LX9での撮影です。撮影には同じPanaのDMC-G10という廉価版の一眼を使ってきました。私のお城プラモ写真は、基本室内撮りで、カメラについてるおまかせモード(iAというモード)の接写ではピントが奥まで合わないのです。マニュアルモードで絞り優先を使うと今度はホワイトバランスが合わず、その発色に困っていたのでした。なのでピーカン(古い言葉です)のお城写真で満足がいくものがなかったのです。(偶然撮れているものもありますが、なぜか再現できないという?写真の世界は深いです。晴天の富士山と駿府城天守がまず撮れていないですからねえ)lx9%e5%a7%ab%e8%b7%af%e5%9f%8e296

 このPanasonicDMC-LX9のいいところは、フォーカス合成という機能があることでして、どういう機能かというと、ピントをずらした4Kの連写をして、手前から奥までピントがあったものを後で合成して、パンフォーカスの写真を1枚作るというものです。たいていのカメラのうりには、「美しいボケ味」というのがありますが、私のような小さなプラモをあたかも本物のように撮りたい(自称)お城プラモ写真家には「ボケ」はいらんのです。

 話がカメラのほうにいってしまいましたが、次回以降この東京マルイ姫路城の細部に迫ってみます。