徳川大坂城模型制作(小天守台の仕上げ6)

    徳川大坂城小天守台の仕上げ作業の記事です。写真は、大大阪城小天守台への登り口雁木です。

    縦面は影でグレーに見えますが、上面はなんとも言えない色です。写真を印刷して、その上に塗料を塗って照合すればいいのですが、疲れていて手抜きをしてしまいました。タン系の薄いグレーでやや茶系も混じった色を上面にのせてみましたが、まだ足りなさそうですね。色を確定させるのは難しいのです。

 「石はグレー」とか色彩感覚の衰えた自分の先入観の色で塗装するのだけは避けたいところです。現物が存在している訳ですから、その照合を重視しています。理想は、お城プラモの拡大写真でその一部だけから石垣なら石垣と見えることだと思っています。

 大阪城の大抵の石垣は、この実物写真のように、黒カビと思いますが、大きな粒粒状で黒ずんでいます。もちろん雨が表面を流れる跡も黒ずんでいるところでして、これを遠目にみるとグレーとも見えるところです。

 私の模型の方の塗装はこんな感じです。うーん実物には見えません。私のお城プラモテクなどまだまだと思っておりまして、今回このあたりで時間をかけているのは、テクがアップするようないろいろな手法を試行している訳です。ここで一定満足できる手法を習得して、本丸部分の石垣などにも使い、模型全体をそのレベルに合わそうと思っているのです。まだまだ遠い道のりです。

 一応和製コンクリとでもいうべき「三和土」(たたき)仕様の各段の地面を作りましたが、実はまだ迷いはあります。ひとつ手前の黄金水井戸の周辺の石畳は、実物の見た目かなり古いもので、井戸とともに天守築造時からのものであろうと考えられるのです。実はこれが全体覆っていて、古写真はその上に土がたい積していただけとか、なかなか自分で納得できないのです。

 この仕様で小天守台を作るのに最後に確認のために、一度大阪城天守閣の学芸員の方を訪ねて聞いてみようかなと思っています。(石敷きであったという証拠でもあれば、今からでも変更するつもりです)今回はここまでです。

徳川大坂城模型制作(小天守台の仕上げ5)

   前回に引き続き小天守台の石垣塗装などを行っています。0.5㎜プラ板にベースの石垣色を塗り、石垣模様をケガいて塗り分けしています。 

 ここの石垣の現状は積み直しされていて、本来のパターンが不明ですが、想像で補っているところです。 はめ込んでみるとこんな感じになります。石垣のスキマというのは深く彫り込んでおけば、流し込み塗料は不要ですが、ここは浅いので必要となります。

 天守入口横にあたる石塁です、同じように塗装していますが、いまいち石垣に見えないので、いろいろと塗装に変化を加えてみました。ただし、この石垣面も大量に積みなおしされているので、想像の部分が大きいです。

 難しいものです。

 金明水井戸の南東側の桝形の石組の塗装は次の写真です。実際の写真は上記のとおりで、再現度はいまいちというところでしょうか。曇った日の撮影で、色がよくわかりません。石垣の石の色といっても、光のあたり具合で違うわけでして、理想は晴天の日の写真での色です。角の石はややオレンジかかっているように見えたので、そのように塗っております。

 今回もここまでです。

徳川大坂城模型制作(小天守台の仕上げ4)

    徳川大坂城小天守台の仕上げ作業の記事です。最初の写真は、実際の大阪城天守台登り口石段の踊場から東側を上からのぞきこんだものでして、石樋があり、以前「大坂諸絵図はおもしろい」の記事で紹介した、その下の地面に砂溜の矩形の石積みも残っているようです。(へんな写真ですけど、私の写真はこんなのが多いです。)樋は黒っぽくて水を流すためか御影石のようですね。 小天守台の作業のほうですが、やはり塗装を中心に行っております。 金明水の段、「四半敷」を瓦張と想定して瓦色で塗装してみたものです。(うう黒いですねえ・・・こりゃ塗り直しか)

   金明水井戸の上屋部分を外して柱の礎を塗装するためマスキングしています。筆塗りがヘタクソでして細かいところの塗り分けも、いつもこうしています。 どうも気に入らないです。井戸がやはり黒すぎますね。写真写りより、もう少し明るいグレーなのですが、溝も同じくです。そもそも写真での公開が中心なので、これじゃなあ。気に入るまで塗りなおししてしまうので、時間かかってしょうがないです。

徳川大坂城模型制作(小天守台の仕上げ3)

  前回に引き続き、徳川大坂城小天守台の仕上げにかかっています。その前に、直近の大阪城訪問の際、屋外にパネル展示されていた浪華城全図(個人蔵)の抜粋の写真をのせておきます。1783年(天明3年)に落雷で大手門などを失い、1845年(弘化2年)に修復されるまでの姿とのことです。金蔵を囲む板塀の仕様などがわかって興味深いところです。 今も残る金蔵は、本丸内にあった「長屋建物」の一部を改造したものと言われており、私の徳川大坂城模型でもこの「長屋建物」は一部再現するので、その壁面とかの仕様をはっきりさせる必要があります。まあ、まだまだ先ではありますが、天守台を完成させれば本丸部分の作成にかかるのでその時に考えます。

 小天守台は登り口から順に仕上げていっております。塗装もしていますが、小天守台の中の石垣壁面とか先にプラ板で完成させてしまうと塗装に苦労するので、パーツの合いを調整したらある程度の塗装をしてから組み上げるようにしています。 この写真は、登り口雁木を登って左に曲がったところの雁木と溝部分の写真です。ここの雁木は1段が並行2枚の積み方となっていますが、私は1枚の雁木石での積み方と解釈しております。そしてこの写真上部の石垣壁面は、新しい石で積みなおしされております。ここの古写真は見当たらなかったので、現状に似せて石垣パターンを作っています。 ちなみに、各雁木はグレー系の石垣色を塗っていますが、実物写真を見てもわかるよう、こんな色ではありません、あくまでこれも下塗りですので、あしからず。まだまだ、先は長いところです。今回もおつきあいありがとうございました。