徳川大坂城模型制作(小天守台の仕上げ2)

  徳川大坂城模型の制作記事のつづきです。前回に引き続き小天守台の仕上げ作業にかかっています。

 登り口雁木横の石垣パターンの彫り込みがまだだったので、入れてみました。参考にしている古写真は天端石を入れて布積みの5段ですが、埋もれている一番下の1段を想像で追加しています。(想像でもこれは、仕方ありません。) 登り口の雁木と踊り場の雁木との高さが、そろわないなので調整する必要があります。その次の踊り場とも合わなくなっています。つまり踊り場を0.1から0.2㎜低くしなければならないところです。ピタリと調整するのに時間がかかってしまっています。大天守台の石垣もモコモコしていますが、古写真との照合で石垣彫り込みを変更しているためであります。このあたりの微調整をおざなりにしてはならないと思っています。 だけれども、限界もある訳でして、だいたいの石垣をいれたけどもなんか形が違うなあというところもあります。上下写真を比較いただくと、私の限界もばれてしまっています。(絵のスケッチ作業みたいなもので、スケッチが下手くそであるということです。orz)

 まあ、自分をなぐさめるとすれば、おそらく誰もやっていないだろう大坂城天守台東面石垣パターンを再現しようとしているのがわかればいいかといった感じです。作業にかかりたいので、今回はここまでです。

徳川大坂城模型制作(小天守台の仕上げ1)

    徳川大坂城模型制作記事の続きです。やっと小天守台の仕上げにかかろうとしています。あんけんさんがコメントでご指摘されていたように徳川大坂城の天守台をできる限り正確に作ることに没頭しすぎて「模型」の完成という目標を忘れかけていたようです。どんどんパーツを作って完成をめざさねばなりません。

 いささか大言壮語的ですが、私がいつもライバル視している模型は、お城などに展示してある「城郭模型」でして、この徳川大坂城模型は、大阪城天守閣に展示してあるさんけいさん制作の徳川大坂城天守模型がライバルなのです。なので、どこまで精密に仕上げるかにはこだわりますし、あちらが省略若しくは独自解釈があれば、根拠をあげてそれ以上の物にしたいと思っているのです。(まあ、当方のテクではかなわないところもあるところですが)

 例えば、さんけいさんの大坂城天守台の石段は、34段ある訳ですが、早稲田大学所蔵の天守台図面には29段と文字で記載されております。天守台がまっ平な平面上にあるのであれば、34段ぐらいになるところです。私は天守台下の地面の高さが異なると解釈し、29段にしているところです。(写真の赤線は現状の地面高となります。)

 ようやく、考証などを済ませて、小天守台仕上げにかかり出したところで、この石段で苦労したところは、石垣表面と各石段をがピタリとあわせるところでして、何度も微調整してこんな感じです。

 小天守台内の石塁の側面石垣部分をプラ板で作っていきます。仮に接着して調整していきます。石垣のケガキがありますし、その塗装もあるので、あくまで仮に作っていきます。 大天守台の石垣の修正箇所に鉛筆で書き込んでいますが、石段横の石垣のパターンとの照合で間違いが判明したためです。 とっとと、小天守台を完成させて、本丸部分の制作に移りたいものです。

徳川大坂城模型制作(金明水井戸の制作2)

    徳川大坂城模型制作記事の続きです。前回に引き続き、金明水井戸の制作にかかっています。制作中のこの徳川大坂城模型については、これまでのような童友社お城プラモパーツの流用ではなく、一からの1/350フルスクラッチに挑戦しているところです。天守も含め様々の櫓を作るにあたり、私が最も難しいと考えている屋根づくりの手法をなんとか獲得しなければなりません。

 まずは、小さな金明水井戸の屋根を試作するつもりで仮組してみたのでした。(大棟などは仮のもので、鳥衾や鬼瓦などはついていませんし、ケラバ丸瓦もまだですのでご勘弁を)

 屋根を支えている黒いパーツも飾りを彫り込む必要があります。妻飾りは蕪懸魚(かぶらげぎょ)となっていますが、実物写真から台紙を作り0.5㎜プラ板に張り付けてくり抜いています。小さな加工は度のキツイ老眼鏡で済ましていますが、難しいです。

 童友社大阪城キットの金明水井戸パーツを流用した江戸城プラモの小天守台井戸と比較するとこんな感じです。

 私の今持っている工具などでは、この程度が限界となります。細かいところを正確に作り上げるのは、まだまだ修行が必要というこです。

 

追記 6/25の記事にあんけんさんからコメントをいただいていたのに、見逃しておりました。(このブログはコメント通知機能がないので、過去記事を単独で開かないと気づけないのです。無視したみたいで、本当にごめんなさい。)いつもごらんいただき感謝しております。

大坂城天守台づくりにハマってしまっているのは、おっしゃるとおりでして、正直こんなペースでは完成まで何年かかるんや?とも感じてはおります。ただ、大坂城の石垣系では、この小天守台部分が、それぞれの段など高さも異なり、一番複雑な難物でして、ここを越えれば、あとはそれほどではないと思っているのです。

屋根のほうも3Dの情報ありがとうございます。調べてみることにいたします。

 

徳川大坂城模型制作(金明水井戸の制作)

    徳川大坂城模型制作記事の続きです。金明水井戸の制作にかかっているところです。前回紹介したパーツの「四半敷」は、アップで見ると正方形になっていないところがあまりに多いので、作り直しました。(今回、けっこう、これに時間がかかってしまいました。)

 ちなみに、金明水井戸の1/50の図面を1/350でプリントしてみましたが、こんな感じで、字や線がつぶれてしまってほとんど、読み取れません。まあ、長さの確認に使うぐらいで、1/50図面の長さを1/7にしてパーツを作っていきました。

 前回までお見せしていた金明水井戸の基段も、私の図面の読み取りミスで、縮尺が誤っていたので、これも作り直しています。

 やっと上屋の柱を作り出したところです。これも1/350で太さを計算すると約0.7㎜と中途半端な値でしたので、0.2㎜プラペーパーと0.5㎜プラ板を張り合わせて切り出しします。

 今回はここまでです。パーツが気に入らないと作り直しするので、とてものろまとなっています。

徳川大坂城模型制作(小天守台制作微調整)

 徳川大坂城模型制作記事の続きです。従前よりお見せしている小天守台の写真には、グレーの床が出てきていますが、あれは仮の紙製のものでして高さの調整に使ってきています。歪みや反りがでてくるので最終的にはプラ板での作り直しとなるところです。

 金明水井戸の基壇は、4枚の石板(黒い御影石と思われます。)で組まれていて、四方に溝も彫り込まれた贅沢な仕様のもとなっています。(なので、各段が敷石であったろうと迷い続けているのです。)平面図、側面図はありますので、1/350でまあまあの精度で作れるので楽なところです。

 金明水の段の斜め石敷きですが、図面から測ってみると1.3㎜正方形となります。彰国社の図解古建築入門という本を最近読んだのですが、お寺の床で使用されるこの床張りは、「四半敷」というのが正式名称らしいです。このプラモでの引き方は、タミヤのノギスをデバイダのように使って、印を入れて定規を使いデザインナイフで入れていきます。ノギスの幅が知らないうちに開いて、1.8㎜に開いてしまって、誤った線が残っています。パテで修正しています(なさけない・・・)古写真で判明した溝も追加しています。

    ちなみに、金明水の基壇の周りは、敷石がありまして、これがどうも古いもののようで、現天守閣再興の前からあったように見えます。大阪城天守閣三階に展示してある徳川大坂城天守模型(旧ブログコメントで「株式会社さんけい」さんの制作との情報をKek511さんよりいただいております。)では、このあたりを根拠に、古写真のような土の部分は、元の敷石の上に被さっていると解釈されたのだろうと思われるところです。

 ブログのほうは、記事がスカスカになっていますが、作業の時間に費やしたいと思いますので、ここまでです。小天守台の微調整がすめば、屋根の試作もしているので、金明水井戸の上屋を作ってみるつもりです。