徳川大坂城模型制作(金明水井戸の隠された溝)

 徳川大坂城模型制作記事の続きです。前回で予告していた小天守台に関してですが、本ブログで、何度か話題にしている「大阪城址写真帖」の古写真をまずはごらんください。(偶然ヤフオクで見つけて手に入れたものです。この場面のものはネットで見かけたことがなかったです。まだまだあるのかも知れません。)

 着物姿の女性と女の子が黄金水(金明水)井戸前に佇んでいます。もちろん天守閣が再興される前の写真でして、井戸屋根右上に陸軍第4師団司令部庁舎でなく、前身の経理部か軍法会議かの建物屋根が見えている珍しいものです。

 私にとっての注目点は、まずは女性の右側に雑草が生えていて石畳ではないことを確認(看板の影らしきものが少し気になりましたが)できたことです。井戸屋根軒右側に見える石塁の上部にも雑草がありますし、敷石なしでいいんだと少し自信が生まれました。

   さらに、井戸左下の斜め敷石(以前は敷「瓦」と思っていましたが、明るいので、やはり「石」のように見えます。)と雁木石の間に石造りの溝があることが見て取れます。井戸のあふれた水を排水するためのもので登り口の側面にある石樋につながっていたと考えられます。

   ちなみに先日大阪城小天守台を観察したときに、現状の敷石が、どうやらこの溝を覆っているのが分りました。左写真では井戸右横の溝が途切れたようになってますが、アルミ製のごみトラップが据えてありました。右写真は、その先にあるコンクリート製の蓋のものです。(古いものですが、いままで、ぜんぜん気づいてなかったです。)この溝については、当然模型で再現しなければなりませんねえ。

 前回、前々回と屋根瓦の試作をやっていて、結局「大きな縮尺の図面」で瓦幅など算出したいと思っていましたが、いい資料を持っていたことをすっかり忘れていました。
 旧ブログから見ていただいている方はご存知でしょうが、1/350駿府城模型(模型は依頼とか関係なく自分で作りたいからつくったのですが)を作成した関連で、本ブログの「城男」を静岡市から駿府城坤櫓のキャラクターに採用したい旨のお申し出を受け、城男作者が坤櫓用に「しろおくん」というキャラを作って無償提供いたしました。(まあ、ほとんど「城男」のまんまですけどねえ、失われた櫓や天守の化身という設定ですから、よく似たやつがたくさんいるということで勘弁してやってください。)それで、しろおくん作者ということで、坤櫓の開館式典に招待されたときに、建築工事報告書をいただいていたのでした。

 中を見てみるとありましたねえ、参考にできる図面が。櫓三重目屋根と本瓦の収まり図、土塀の図もありました。それも正確に1/50ですから、まあまあの精度で割り出せます。ありゃりゃ、坤櫓に使用された丸瓦と土塀の丸瓦の直径が異なってました。丸瓦ごとのピッチも異なるようです。(ちなみに、この画像ではわからないかも知れませんが、入母屋破風をオーバーハングさせていますね、2/100破風斜とあります。)

駿府城坤櫓屋根図面より(1/350換算)
 本瓦葺きピッチ:0.82㎜ 丸瓦径:0.495㎜ 平瓦重なり表出部分:0.33㎜

駿府城土塀図面より(1/350換算)
 本瓦葺きピッチ:0.71㎜ 丸瓦径:0.33㎜ 平瓦重なり表出部分:0.33㎜

 徳川大坂城なので、これら数値も参考にするつもりです。すくなくとも土塀と櫓などの屋根瓦は異なるということにします。 

徳川大坂城模型制作(徳川大坂城の屋根瓦の試作)

 徳川大坂城模型制作記事の続きです。先日仕事を休んで大阪市内へ出かける機会があったので、何度も行ってはいますが、大阪城を再訪してきました。平日なのですいているかと思いきや、大勢の外国人観光客が見学していました。(日本のお城を知ってもらうのはいいことだと思います。)

   森ノ宮駐車場から市民の森を抜けて、大阪城天守閣の南東側の玉造口からの登城です。玉造門の東側を守った巽櫓跡に行ってみますと、猫が石垣天端石に寝そべってます。

 

   お?玉造門の門番猫か、カメラを向けると顔をあげて、目の前の柵の上まで来てくれました。ニャでさせてやるよって感じです。背中とか撫でてやるとじっとしています。かわいい奴でした。

 玉造門の土塀跡には、立派な石づくりの控柱が残っています。対して、本丸入口の桜門横の土塀の控柱は、下部が石づくりで木の柱をつないでいます。桜門のほうは復元ものでしょうけど、城内でいろいろあったのか、石づくりで統一されていたのか、少し悩みますね。

 天守閣にも行ってきましたが、内部の展示では幕末ものがテーマとなっていました。興味はありますが、そこそこに見学して、小天守台の細かい観察に時間を費やしました。いろいろ発見するところもあったところです。それは次回以降に紹介するとして、前回に引き続き、別バージョンの大坂城屋根瓦の試作を見ていただきます。

 前回、土塀の丸瓦のピッチについて1/350で0.84㎜としていましたが、訂正します。10個間隔で測ると1間隔が0.83㎜となりました。瓦の重なりは、0.36㎜でなく0.32㎜であろうと思います。(ちなみに、これら数値が正しいとは当ブログは、一切保証しませんので、あしからず)

 今回試作したのは、0.5㎜プラ板に0.83㎜の間隔で縦に0.2㎜幅のスジボリをし、それと交差して横方向に、平瓦ということで0.32㎜間隔のカッターでのスジボリを入れました。そして縦の0.2㎜幅のミゾに0.4㎜の丸プラ棒を接着してみました。(とりあえずの冶具で作業したんですよ、細かすぎて目が痛くなりました。)うーん・・・横線の平瓦のスジボリが、いまいち均一になっていないようで、もう少し精度を上げる必要があるようです。

徳川大坂城模型制作(徳川大坂城の屋根瓦のピッチについて)

 徳川大坂城模型制作記事の続きです。まずは、制作中小天守台の現状ですが、銃眼つきの天端石を作ろうとしています。童友社大阪城キットの天守台のものを切り取って流用しようとしていますが、どうも高さなどに疑問が生じています。ハンディルーターも壊れてしまい、滞りとなってしまいました。それでも手法は見えていますので、作業のみで心配はしていません。

 できるかどうか心配していたのは、今回このお城プラモで挑戦しようとしていた屋根瓦のスクラッチでして、そのテスト版を作ったので、それについて触れてみます。以前東京マルイ姫路城の記事でも書いたように、あまたの1/350お城プラモの屋根瓦のピッチ(隣あう丸瓦の頂点の距離)は、どうも怪しいと疑っていたのでキッチリとした根拠を探していました。結局図面でして、大阪城天守閣が発行した「特別展大阪城はこの姿」p54に大手門北方塀詳細の図面が、まあまあ大きく載せられており、メートル単位のスケールも入っていました。この図面の縮尺を割り出し、図面の丸瓦のピッチを出してみました。

   土塀と建物の屋根瓦ピッチが同じなのかどうかは、櫓の図面などで後ほど確認することとして、とりあえず割り出してみると29.4㎝、丸瓦の直径は15.2㎝となりました。(小数点以下は怪しいです)1/350に換算すると、0.84㎜と0.43㎜となります。(げげ…小さい)これを作るのは難しいですぞ。エバーグリーンの0.25㎜×0.5㎜のプラ板とプラストラクトの直径0.4㎜プラ棒の組み合わせで作ってみることにしました。

 軒先で丸瓦は、丸になっていますが、平瓦の上に乗っているところでは半円でして、0.5㎜プラ平棒を0.3㎜のスキマを空けて並べていき、そのスキマに0.4㎜プラ丸棒をのせていけばいけるのではないかと思ったのです。もちろんプラ板に0.84㎜間隔でミゾを掘って、そこにプラ丸棒をのせるっていう手もありますが・・・

 写真の上に写っている屋根は、童友社大阪城のものです。よくよく、測ってみると0.5㎜となっているエバーグリーンのプラ板の幅は0.6㎜のようです。スキマを作るのに0.2㎜のガイドみたいなものを使えばなんとかなりそうです。平瓦の重なったのも再現したいところですが、先の図面の土塀の断面図で見ると、12.7㎝で1/350では0.36㎜でして・・ううーん、こりゃ、まずは冶具かなんか作らないといけないかなと思ったのでした。

大坂城を離れて関ケ原へ

 徳川大坂城制作作業は、ノロノロと進行してはいますが、見ていただいる方々にとっては退屈もするでしょうから、今回は、昨日訪問した関ケ原訪問の記事にいたします。関ケ原までは車で私のところからだと2時間半ほどかかりますが、天気も良く風も爽やかで、遠出するには最高の日となりました。向かうのは笹尾山の石田三成陣跡で、関ケ原を一望できる場所にあります。展望台も整備されていて解説音声が流れるようになっていました。

 戦国時代ファンの方であれば、見飽きた布陣図ですが、石田陣地から見た図で、オレンジ色の寝返り大名達が、石田方として働けば、完璧な鶴翼の陣で徳川方を包囲殲滅することは容易だったでしょう。小早川が動かず、脇坂、朽木、小川、赤座が裏切らずに福島正則の側面と背後を攻めさせすればなあ・・・この陣跡から関ケ原を望むと三成の無念さもわかるようです。 展望台には、景色に重ねた布陣状況のわかる写真も掲示してありました。(横長なので、写真3枚をつないでいます。)松尾山の小早川の旗が動いたとき三成はどう思ったのでしょうか、写真でもわかるようにかなり距離があり、裏切るにせよ、徳川方を攻撃するにせよ、石田陣からは手前に降りてくるように見えたはずです。「これで勝った」と一瞬喜んだのではないかと思いました。
 石田陣跡を見学したあとは、関ケ原古戦場見物のお約束「関ケ原ウォーランド」にも行ってきました。ここは初めての訪問でして、事前で写真など見て期待していなかったのですが、そこかしこに立っているコンクリートの武将像がユーモラスで独特の雰囲気を醸し出していて、懐かしいような笑みが出てきてしまい、すっかり楽しみました。ここにあるコンクリート像は、長い間無名で、近年テレビなどでも紹介されるようになったコンクリート造形師浅野祥雲の作品群で、実物大ではなく、やや大きめにつくられています。それもあって迫力はあります。

 特に徳川家康の首実検の情景など、その中央へ行って周りを見渡すと妙な感覚にとらわれてしまいます。なんだろうなと思いあぐねていると「そうか、1/35フィギュアのジオラマの中にいる感覚か」と思いいたりました。それもタミヤのものでなく、アオシマの「戦国合戦ジオラマ」ですね、これは。(古いモデラーの方ならご存じであろうかと思います。)たまにはこういった見学もいいものですよ。