名古屋城天守木造再建が決まりました

 

 今回は、名古屋城についてです。先日名古屋市議会で、名古屋城天守木造再建のための基本設計料約10億円を含む補正予算が可決され、いよいよ木造復元可否の議論も終わって、木造再建に向け、進み出すこととなった訳です。順序とすれば、基本設計→実施設計→工事となるのですが、2022年(元号はまだわかりませんねえ)の完成をめざすとのこと、現行天守閣の解体含めなので、ちょっとキツメの工事なのかもしれません。(生きてる間に見ることができそうです。)

 お城ファンとすれば、とてもわくわくする慶事ではありませんか。お城に思い入れのない方たちには、観光目的という大義名分での説明で、「採算がとれるのか疑問」などの反対意見が出ていました。現行天守閣自体が文化財だという意見もありますし、「木造で天守閣を復元しても、本物ではなく木造のレプリカなのである。このことは、現在一部公開され、建設中のピカピカの本丸御殿で経験済みなのではないだろうか。」とレプリカだから価値なしといったことまで主張されているようです。(自治体問題研究所)

 そもそも、お城は、商業施設ではないですから、建設費から毎年の維持管理費などを考えれば、まず採算度外視の施設でしょう。例えば美術館、博物館で建設費を入場料で賄えている施設はあるのでしょうか?テーマパークのように何千円といった入場料を設定すれば話は別でしょうが・・・お城など歴史的建造物は、歴史・文化を後世に伝えていくためのものだと私は思っています。ただ高さを追及する経済発展を体現するランドマークタワーではなく、自分たちの都市や街の歴史を誇らしく思い起こさせる象徴とでも言うべきでしょう。

 レプリカの反論としては、現存12天守でもそうですが、そもそも屋根瓦、漆喰、柱や梁に至るまで、旧の部材をそのまま残した完全オリジナルの歴史的木造建築物は存在しないでしょう。レプリカ率何パーセントだから本物とは言えないとか、そんな問題ではなく、日本建築では神社など遷宮して完全に建て替える訳で、それこそ営々と維持を続けていることに歴史的価値があると言いうるのです。(姫路城の世界遺産登録ではこの点が争点となったとのことです。)

 なので、木造再建された名古屋城天守も30年もすれば、「戦災により焼失したが、元通りに復元された本物(一時期鉄筋コンクリートの外見復元天守が建っていた)」となることでしょう。さらに年月が経てば国宝にも戻るかな、それは無理か・・・

 ちょっと熱くなりすぎました。話を当ブログの本来のテーマ城郭模型のほうに戻します。写真は、5年前に訪問したときに、撮影してきた名古屋城天守閣の中に展示してある名古屋城模型です。(撮影禁止だったかどうかも忘れてしまいました。怒られるかも・・)木造の内部構造がすごいですねえ、これを復元するなんて、かなりの木材が必要です。この模型の石垣部分の再現度を実際の写真と比較して見てみます。
 右の模型写真の赤線で囲んだ部分が左の写真の部分に該当します。まあ、お城にある城郭模型が不正確ではどうしょうもないところでして、この名古屋城天守模型は、けっこう再現されていて完璧といっていいんじゃないでしょうか。(エラそうにまた批評してしまいました。)

 ところで、またまた話が戻りますが、名古屋城天守木造再建には大賛成なのですが、私の本音としては、同じく戦災で焼失した本丸丑寅隅櫓(うしとらすみやぐら)と明治期に解体された本丸多聞櫓(門を含む)を同時に復元して欲しかったのです。これらを復元すれば名古屋城本丸完全復元となります。ここまでやれば、もう本丸内部を侍テーマパークにみたいにして、職員はすべて当時の衣装、入場するのも制限して衣装に着替え、5千円以上の入場料で江戸庶民文化でない武士社会体験型施設にしてほしいと空想しています。(建物自体は文化財でないので、いろいろ劇場型見世物もできるし・・・)

「こら!お城についてさっき言ってたことと真逆じゃないか」と城男に怒られそうです。
 
株式会社 竹中工務店 名古屋支店 技術提案書(後半図面はお城プラモ作成に役立つかも)

自治体問題研究所(木造再建に反対の意見、でも多聞櫓と丑寅隅櫓を再建との意見)

駿府城の写真

今日は、1日かけて駿府城と富士山の写真を作成しようといろいろと試していたのですが、難しいです。明るさはなんとかなったのですが、今度は駿府城自体へのピントが甘くなってしまっています。この写真だけで今回はお許しを・・・5時間ぐらいかけたのでした。

彦根城プラモ天守の設計など

 仕事が混んでしまって、ブログ記事を1週間とばしてしまいました。どうもすみませんでした。今回は、彦根城プラモをPanasonicDMC-LX9で撮ったので紹介させていただきます。(え?「彦根城プラモなんか特にみたくない」ですって・・・まあまあ、このカメラに慣れるためのトレーニングみたいなものでして、ご勘弁を)ちなみに、撮影した映像はいろいろ加工処理も加えているので、このカメラを使えば写真が必ずこうなる訳ではないのでお間違えなきよう。

 このキットについては、あまりに実物と離れすぎているので「ツッコミ」を入れいるモチベーションが高まらないところです。そもそも各階平面が違いすぎているので「彦根城を名乗る若しくはイメージしたお城プラモ」ってとこでしょうか。前回再建岡山城天守でも触れたように、お城プラモも設計段階で、もう少し細かいところでこだわっていれば、こんな「残念な天守」にはならなかったのにという思いがつのるのでした。

 お城に対する敬意、憧れ、こだわりを持つ設計担当者がおられたのだったら、私たちは今とかなり異なる状況を目にしていると思うのです。なにをえらそうにと叱られそうですが、古い世代のプラモデラーの方であれば、昔の模型屋にプラ模型の帝王のように鎮座していたニチモ1/200戦艦大和(大きな店だと組み上げられた完成品がショーケースに飾ってありましたね。)を覚えておられるでしょう。

 あれこそ、後にグラフィックデザイナーとしてニチモから独立し「軍艦メカニズム図鑑」やタミヤの「軍艦雑記帳」を書かれていた故森恒英氏が設計したものです。(wikiによる)

 この方の書いたイラストは、興味のない対象物(例えば弾薬箱)でも魅せられてしまうと言えばいいのでしょうか素晴らしいです。故森恒英氏が軍艦に持っておられたこだわりをお城に対して少しでも持つような方が、メーカーにおられればなあと思うのは、ないものねだりなんでしょうねえ。

 これからは、3Dスキャナーや3Dキャドが、もうありますから実物や建築図面などがあれば、完全縮尺のお城プラモもキット化されるかも知れません。石垣だって3Dで撮影して、写真の3Dフルカラーをテクスチャープリントすれば、もう色味で悩む必要もなくなるでしょう。

 世の中は産業革命のようなものすごい変化が起こっているようですが、お城プラモもその恩恵に預かれればなと思います。(ただし、3Dプリンタは私も関心がありますが、現段階では1/350お城プラモに使える精度ではないです。)とりとめない話になりました。今回はこれにて・・・