岡山城訪問記(再編集)

 旧ブログでは、近辺のお城の訪問記も載せておりましたので、少しずつ再録してみることにします。ただし、そのままではぜんぜんおもしろくないので、訪問以後いろいろと考えたことなども含めて記事にしていきます。

 岡山城は昨年5月のきもちのいい季節にバイクで訪問しました。自宅から往復520キロほとんど高速道路の長距離移動です。それでもウキウキと楽しい旅でした。岡山城天守の魅力は、安土城に倣ったともいわれますが、なんといっても不等辺の土台に、非対称 の建物を建てていることでしょう。不等辺天守台にあわせて、天守があげられていてその美的感覚は日本人独自のものかも知れません。とても好きな天守です。

 ただ、現在の復元天守は、戦前の天守と比べて外見相違点が多いのです。それは「学研の歴史群像シリーズ岡山城」で広島大学の三浦正幸先生も指摘されていて、窓など全部ちがっているといっても過言ではないとまで書いておられます。一度、お城プラモでの比較と同じように見てみます。

 次の写真は、現行天守と旧天守の写真を並べたものです。少し撮影角度は異なりますが、仔細に比較してみますと、まず各重の入母屋破風の形状、高さが異なることが分ると思います。旧天守のほうが、屋根の曲線(そり)がより深く、妻壁は、仁科章夫氏実測図面にはありませんが、以前の記事で紹介した姫路城天守の入母屋破風のように「オーバーハング」があるように見えます。三浦先生が指摘しておられる各壁面の窓、漆喰部分と下見板部分(下見板張りの押し縁の幅も旧天守はもっと細かいようです。)との比率も異なるのですが、「似てないなあ」と感じるのは、この屋根の形状が大きく異なるのが最大の原因であると言えるでしょう。

 旧ブログでは自分の撮影した現行天守像を写真コラージュで改造して掲載していましたが、あれは屋根はあまり改造していなかったので、今回もう少し図面などとも比べながら作成してみました。ちなみに現行天守最上階には華頭窓はありませんが、旧天守は、豊臣時代の天守最上階パターンで3間×3間の華頭窓付きとなっています。(現行天守が耐震改修とか大改修するときには是非とも屋根を改造してほしいものです。)

 

東京マルイ姫路城を見てみる(その4)櫓は引き立て役か?

 購入した東京マルイ姫路城についての記事の続きです。お城プラモを持っている楽しみは、実物の写真などにはないようないろいろな角度から眺めることでしょうか。実在の天守などは、周辺の木々の位置などから、撮影ポイントがだいたい固定されてしまいます。姫路城であれば三国堀から天守を望むものがオーソドックスなものとなっているところです。天守北側は原生林で切れ込んでもいるため、北側から天守を望む写真はとても少ないです。(遠望しているものならあるようですけどねえ)お城プラモならそれを自由に自分の好きな位置から見ることができるです。

 さて、いじわるですが、東京マルイ姫路城の「もうすこし何とかしてほしかった」ポイントの指摘をしていきましょう。天守西側乾小天守下の「水の二門」です。二の櫓(くの字の建物)の天守側の屋根が実物は「入母屋屋根」ですが、プラモのほうは「切妻屋根」でここは違いますねえ。(たぶんグーグルアースでは確認できないからでしょう。)
 次は、見学通路にもなっている「ろの櫓」の形状です。(窓とか再現してほしいところですけど、多くの櫓が「のっぺらぼう」となっています。)角に石落としがありますが、プラモには再現されていません。童友社の姫路城キットはさすがにこういった省略していません。東京マルイ姫路城の一部土塀は、塗装で狭間を表現していますが、櫓の窓についても最低塗装表現をしてほしかったところです。この点はこの製品の最大の弱点であると思います。

 次の写真は、「北腰曲輪」の比較です。さきほど触れたように、童友社の1/380姫路城の正面扱い、お城的には搦手になる方向で、ネットなどでも写真はなかなかありません。(この方向から撮ろうとするとドローン撮影しかないですが、禁止されているので絶対にだめですよ。)左の画像はグーグルアースの過去画像でポリゴンでの再現になっています。(現状画像は、天守修理の覆いがかかったもので更新されていないです。)「北腰曲輪」の「ホの櫓」(二階建)の屋根の位置が異なりますが、図面で確認するとグーグルのポリゴンが間違っており、東京マルイの位置で正解です。

 グーグルアースの画像は、現在作成している徳川大坂城の図面づくりに多用していますが、衛星からのものですから、どうしても歪がでてしまったりするので、全面的に信用することはできません。特にポリゴンは写真でなく誰かが作製しているので間違いもあるところです。

 東京マルイ姫路城北腰曲輪もう少し詳しくみてみると、ホの櫓の1階部分の唐破風もあり再現しようとしてあるのですが、屋根の最上部までの高さを図面との照合すると壁面の高さが足りないのです。模型の高さ(北腰曲輪地表面から)は約27㎜となっていますが、姫路市立城郭研究室の断面図には、35.26尺とあり、約10.7mで1/350では約30㎜となり、本物に比べて模型は低いです。2階部分の壁面の高さ足りないものと思われます。

 お城プラモ的には、あくまで天守が主人公で、周辺の櫓などは「引き立て役」ってことでしょうが、この北腰曲輪は、曲面で構成され、ホの櫓に繋がる多聞櫓の屋根の高さも異なるようで、建築物としての造形はとてもユニークで魅力のあるものです。私としてはこだわって欲しかったですね。城郭模型を眺める楽しみは、いろんな角度から眺めて、こんな建築物だったのかと驚かされるところにもありますから・・・

慶長度江戸城の新発見史料について

 今回は、先日、NHKや新聞記事でも紹介された慶長度江戸城の新発見史料について記事にしてみることにします。発見されたのは松江歴史館所蔵の「極秘諸国城図」にあった「江戸始図」という絵図とのことです。徳川の江戸城には天守が3つあって、家康公の慶長度天守、二代将軍秀忠の元和度天守、三代将軍家光の寛永度天守で、現在の天守台は最後の寛永度のもの(ただし、積みなおして高さが低くなっている。)と言われています。
ちなみに、童友社江戸城プラモは、寛永度江戸城のものです。

 元和度天守については天守台の位置が明確ではなく、特に慶長度については指図らしきものは見つかっておらず、外見、規模、縄張りを含め、幻の天守となっているのです。それが、この「江戸始図」に縄張りが明記されており、大発見となったところです。

(下図は、松江市報道発表「松江歴史館所蔵「江戸始図」の学術的意義の概要 (奈良大学の千田嘉博教授の報告より) 」3ページ掲載図より引用)

 しかし、昨年発見された真田丸の絵図もこの松江歴史館所蔵「極秘諸国城図」という史料からでしたから、まだまだ未発見の史料というのが存在することに驚いてしまいますよね。(そう言えば、前々回記事で取り上げたNHKBSのザ・プレミアム「二条城~戦国から太平へ~」で、新発見の江戸城天守図面、聚楽第の図面も出てましたっけ)いずれにせよ、新資料の発見は嬉しいことではあります。

(下図は上記と同様松江市報道発表5ページより引用)

 ところで、この「江戸始図」を見てると、以前の記事駿府城復元記でとりあげた大日本報徳社蔵「駿州府中御城図」と類似しているような気がします。お城の防御にかかわる部分を黒の塗りつぶしで表現するところとか、千田先生が指摘されている本丸南の5連続桝形の最後の石塁につながる石段など、駿府城天守東側の石段と同じ形式だったのではと思ったところです。
 
 前の真田丸史料があって、少し遅れて慶長江戸城の史料発見って、少しずつ出てきてますけど、ひょっとして、この「極秘諸国城図」の中に、安土城とか豊臣大坂城とか聚楽第、駿府城の新史料が入ってるなんてことはないんでしょうかねえ・・・発表時期を待っているとか、わくわくしますよね。

 ついつい私も喜んでしまって、GoogleEarthの江戸城本丸画面にに駿府城プラモの写真を追加して図面の一部を再現してしまいました。(やっつけ加工でアップに耐えれるものではなく、全体までは張り付けていません。あしからず)

松江市の報道発表記事:

http://www1.city.matsue.shimane.jp/shisei/kouhou/kisha/2017/0208.data/gaiyou.pdf

旧ブログが消えてしまって少し寂しいです

 今回は、消えてしまった旧ブログで掲載し、Google画像検索(「お城プラモ」検索)で、まあまあ上位をとっていた写真をあげておきましょう。現状で検索結果に出てくることは出てくるのですが、blog.zaq.ne.jpの分はすべて画像表示できず、終了のお知らせが出てくるのみです。
 しまった!一体旧ブログでどれだけの記事を書いていたのかとか確認しておけばよかった・・・すでに遅しでありました。駿府城をつくっていて、たくさん見ていただいた頃は、1日平均130pv程度、昨年は50pvを割ってしまいました、お城プラモ作れてないからねえ。 写真は、広島城プラモの完成時のものですが、まだフィギュアや御殿屋根に天水桶などを追加していないときのものです。手前の木々には焦点があわずちょっとピンボケです。もう電池が死んでしまって使えなくなったpentax I-10で撮ったもので、発色などは気に入っていました。
 次の写真は、PanasonicDMC-G10で撮ったものでして、彦根城プラモです。キットに付属している櫓などは作っていません。現状の姿のつもりで作成したものです。桜が咲いていて、ほかの木々が緑というのは、あまりにデタラメでして、お恥ずかしいところです。中央石垣下の木の柵とかなどは実際にあるものです。多聞櫓の出入口なども再現しているつもりですが、本物の多門櫓は、写真中央の石垣の折れ曲がったところぐらいまで来る長さがあります。実物とはいろいろと異なるところが多いお城プラモではあります。
 ただ、写真の撮りようによっては、それっぽくみえるようにも出来るようで、光の当たり方などはなんとか屋外の雰囲気は出せたようです。ただし、鳥衾も再現していないし、下から見上げているので屋根裏のスカスカ感が実物感というか精密感を損ねています。
 次のものは、江戸城プラモのものです。これも、pentaxI-10での撮影で発色は気に入っています。

 これも江戸城ですが、確かiphone3Gで撮っていて、壁面が黒つぶれしてしまっています。旧ブログの最初の記事にあげたものでした。

 はやく徳川大坂城を完成させて、いろいろな方向から写真を撮ってみたいところです。