広島城プラモ制作記(お城プラモを城郭模型とするには)

 今回からは、童友社のDX広島城の制作記事とします。旧ブログ記事が平成25年4月28日から始まっています。このキットは、童友社DX版お城プラモとして久しぶりの新作(安土城がその前だったと記憶していますが、一体何年前だったでしょうか?)です。駿府城の次に飛騨高山城に挑戦するつもりでしたから、お城プラモを始めようとする人向けに、キットに手を入れず、ほどほどのディティールアップと塗装のみで2,3カ月で仕上げようと思っていたのでした。
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      事前にそろえていた広島城に関する資料は、学研の「歴史群像」名城シリーズの広島城(このシリーズはお城ファン必携ですよね。野上隼夫氏の広島城イラストなども最高です。もちろん現在では中古でしか入手できません。)、また、姫路市立城郭研究室の大修理工事図面にある「ほかの城」に広島城の図面が収録されているのです。さらに、広島城ホームページの「しろうや!広島城」という広報誌も参考になりました。
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       制作に入る前に土台改造箇所をチェックしておきます。まずはベースとなる水堀部分を拡張する必要がありました。このためにキットを2つ購入しています。写真では水色の部分になります。その上に腰曲輪(ベージュ色)を加えます。さらに東小天守台に続く多聞櫓が建つ右の石塁の幅を拡張し、左下南小天守台に続く石塁も幅を広げています。また、御殿が建っている本丸地表面をフラットにするため、ふくらみ箇所を削って、エキシポパテで埋めます。
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     写真は、既に水堀部分を追加したものになっています。キットでは天守北側の部分は、水面がありませんから白いプラ板で水面部分を追加しています。つないだところは、ラッカーパテでならしています。天守台を切り取った腰曲輪部分をこの上にのせるわけです。
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     天守台などの石垣塗装を開始していますが、キットでは堀の水面に波をモールドしてありまして、これが少々おおげさなので、削って追加した堀水面と均一にするのにけっこう骨がおれました。
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      土台を内側から見たものです。手前のグレーのパテ部分は、おそらく草地のつもりでふくらみをつけたモールドを削ったところです。右側の石塁も石垣面を付けています。

 お城プラモでは完成品の東京マルイの姫路城がかなり正確な姿を持っているようです。けど、制作するキットでなく、手をいれるには、分解する必要があります。ちなみに旧ブログでリンクを張らせていただいていた「お城のプラモデル作ってますぅ」のきわみのさんが既にやっておられます。(すごいですよね)%e5%a4%a9%e6%98%8e%e5%85%83%e5%b9%b4%e5%a4%8f%e5%ba%83%e5%b3%b6%e5%9f%8e05

 

 お城プラモを新発売する際には、いろいろ事情はあるのでしょうが、こだわってほしいですよねえ、メーカーにお城好きの方がいればなんとかなると思うんですよ・・・それとも、ちゃんとした城郭研究者の方に監修してもらうとか、どうかお城ファンが納得するキットを出してくださいますようお願いいたします。

駿府城復元記(富士山と駿府城天守は最高の組み合わせだが)

 駿府城復元記の続きです。前回広島城作成記事をはじめると書きましたが、あと1回だけ駿府城の記事にします。もう旧ブログも消えてしまいます。グーグル画像検索でけっこう上位にヒットするのが張り合いになっていたのも事実でして、旧ブログが廃止されるとあっという間に消えていくのだろうと思うと少し切ない気分になります。
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 一枚目は、既出ですが、プラモの土台を入れたオリジナルものです。情景写真とする際には、土台などはできる限りカットしてしまいますが、案外プラモに見える方が好まれるようです。

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 次の写真はグーグルアースの駿府城公園の画像を使って、お城プラモを重ねてみたものです。復元されたらこんな感じになるのではないかということです。お城プラモの写真は、プラモ作成よりも力が入ってしまいます。それは、お城プラモの写真は、1/350で小さいけれど「お城の模型」自体がそこにあるので、CGなんかより写真としての「存在感」があるのではないかと信じているからです。

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 お仕事としてお城CGを作成されている方々の悪口になってもいけないのですが、失われたお城の画像を出すのであれば、「おお、こんなのが本当に建っていたんだ」と感じさせるのが大事で、「まさにCGですねえ」というのでは、いけないような気もするのです。実際に存在するかのようなCGならばそれでいいのですが、そうでなければ、むしろ手書きで緻密に描かれたカラーイラストのほうが私は好きなのです。(まさに個人的好みの問題ですけど)

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 かくかくの側面写真で写真自体としては良いできではありません。こんなのも珍しいでしょうから・・・

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 背景が空でなく、地続きで表現されていればこの写真もいいものになっていたかもしれませんが、橋の写真です。天守台の大きさが分るには良いかもしれません。

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 駿府城と富士山が並んでいる情景は、おそらく駿府城天守が存在した江戸時代初期でも最高の組み合わせだったろうかと思います。一番たくさん試して撮影したのは、この画題だったですけど、満足がいくものが今だに撮れていないのです。この写真も角度的に天守を見上げていますが、この角度で富士山は見えないでしょう。いつかこのお城プラモを使って良いものを作成したいです。

駿府城復元記(天守の姿を確定させるのは難しい)

     駿府城復元記の続きです。今回はいよいよ天守作成について書いてみます。私のお城プラモ作成は、壁面などはプラ板から作っていますが、屋根については市販お城プラモデルキットの部品を加工しています。目標とさせていただいている城王(JoO)の部屋の城王(http://members2.jcom.home.ne.jp/taka5/)さんや旧ブログではいろいろアドバイスをいただいた桔梗閣(http://balloonflower.hannnari.com/index.htm)さんは、屋根自体も丸瓦から自作されていて、いつか自分もと思ってはおりますが、駿府城作成の段階では、まだその境地に至っていなかったところです。

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  一体どんな天守であったのか、旧ブログでも一応の考察をいたしましたので、その再録となります。駿府城天守について記述されている史料は、当代記、慶長見聞録、慶長日記、増補慶長日記、武徳編年集成などがあるらしいのですが、少しづつ内容が異なっています。当代記と慶長日記をイラストにしてみますと以上のとおりです。それぞれの記述は各層の間数などはほぼ一致しており、七重の天守であることは一致しています。ただ、屋根の形状では破風の記載はあるもの、例えば比翼千鳥破風などとの細かい記載はありません。

  3つ目の天守イラストは、文書ではなく日光東照宮縁起絵巻の天守でして、七重目屋根には大きな唐破風があり、五重目に欄干が描かれています。絵巻では下から一重目から四重目までは描かれていませんが、遠望したときの外見的特徴(下見板張り、真壁造り)を捉えているものと考えています。

  他の駿府城の絵図、天守焼失後にもかかわらず東海道図屏風など描かれているものはあります。これも下見板張りらしく描かれており、最上階平側は柱4本で3間、妻側は2間となっていますが、いずれも正確に描いてはいないでしょう。また、天守六重目には向唐破風が妻側、平側の両方にあります。そして、三重の小天守も描かれており同じく下見板張りで、真壁造りであることも確認できるもので、天守と距離が少しあるように描かれています。画像は禁転載とあるので東海道図屏風リンクでごらんください。

  ここの解説にもあるように、現実に建っていた駿府城天守を描いたのではなく、なんらかの史料や口伝などから再現したのでしょうから、江戸時代においても駿府城天守は憧憬を抱かせる「御天守」だったと言えます。まずは外見が下見板張り、真壁造りであることの論拠にはなりそうですが、当時どんな根拠をもってこの絵を描いたのでしょうか・・・知りたいです。この絵の他の駿府城の絵は、ひょっとするとこの東海道図屏風を見て、真似て描いたか、それとも絵師たちのいわゆるお約束である粉本(ふんぽん:画家の技術を一定に保つため作られた摸写用の本)に従った天守像が描かれたと考えています。(一度粉本のお城の絵を見てみたいものです・・・)

  ところで、第一期駿府城の築城風景を描いたとされる名古屋市博物館所蔵の「築城図屏風」ですが、私はあったとされる幻の天守を含めた金沢城の築城風景であろうと思っています。天守一重目に描かれている唐破風出窓、本丸門の右側に描かれている大きな鏡石なども家康公の「お好み」ではないような気がします。下見板張りですが後に海鼠壁に変更されたと考えれば、金沢城の仕様に見えてくるのです。

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駿府城天守の制作ですが、実際は天守丸多聞櫓などと同時に作り上げています。それは、天守南東櫓と通路で接続されているためで、写真は一重目を天守台に入れてみて、その接続通路が合うよう調整しているものです。北東側に広間を作っていますが、天守の中にこんな柱のない広間は無理でしょう。二重目を乗せる段階で柱を入れました。

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二重目は舞良戸で閉じた状態、慶長日記の記述にある「四方縁あり」となっており、ここに前々回に紹介した7尺間(1間が7尺)の欄干を付けました。三重目にも「各四面に欄干あり」とあるのに従って、熊本城天守最上階の仕様を参考にしています。一重目にも二重目にも腰屋根はありませんが、当代記にも慶長日記にも記述がないためです。

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六重目まで組み上げた写真です一重目中央の向唐破風の出窓のような建物は、ちょうど天守台のこの位置に井戸があるので、それを囲むものです。天守の出入り口は左側に接続している橋でして、この上に通路となる二重櫓があるという想定です。

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七重目まで組み上げた写真です。最上部の屋根と六重目の妻側に大きな唐破風を取り付けています。これは童友社江戸城の四重目の唐破風を使っています。少し分厚い感じですが、自分で作る技術がないので仕方ありません。各重の屋根の色は、それぞれの素材の色にしています。最上階の屋根は、銅板張瓦ですから銅色で、やがて緑青のさびが出ますが、新築時は輝いていたでしょうね。(緑青色を塗るときは下地にこの銅色をいつも塗っています。)それぞれのには千鳥破風などを追加せねばなりません。

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五重目屋根に千鳥破風を加えています。この屋根は童友社姫路城のパーツの切り貼りで、既に比翼千鳥破風(千鳥破風が二つ並ぶもの)にしてありますが、妻側に千鳥破風を付ける作業です。姫路城キットの櫓の入母屋屋根を角度を合せて斜めにカットし、三角にカットした妻側に取り付けます。このとき、切った双方がどれだけ隙間なくピッタリ合うかどうかが仕上がりに影響します。隙間は後ほどプラパテで埋めるのですが、一番神経を使うところです。
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四重目屋根から六重目屋根は白ろう(錫か錫と鉛の合金)張の瓦なので、白っぽい銀色にして、一応天守は完成しています。その他、番所、橋、庭園と作成して全体の完成にもっていきました。2011/5/5-2013/2/24、1年10カ月かかってしまいましたが、達成感は非常に大きなものがあります。もちろん手元にありますので、たまに細かいところを眺めては悦に入ってます。すこしはしょりましたが、次回からは広島城プラモデル作成記事のまとめをはじめます。%e9%a7%bf%e5%ba%9c%e5%9f%8e%e5%ba%ad%e5%9c%92

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